
藤原 啓Kei Fujiwara

藤原 啓(1899~1983)
(写真は「藤原備前三代, 炎の詩」様より引用)
藤原啓は日本の陶芸家、人間国宝、本名は敬二です。
少年期から俳句や小説の才能を発揮しており、博文館が手がける『文学世界』に応募した短編が1等を獲得します。これを機に上京し博文館編集部に勤務、『文学世界』の編集を担当しました。
同郷の正宗白鳥、徳富蘆花の影響を強く受け詩の執筆も始めます。そのかたわら早稲田大学英文科の聴講生となり、ロシア・ドイツ文学やシェイクスピアを学ぶが1年あまりで中退します。
その後は川端洋画研究所に通い、3年間デッサンを学んでいるます。詩集『夕の哀しみ』と『ハイネの訳詩集』(生田春月との共著)を新潮社より出版、博文館の『婦人之国』の編集などにも携わります。
文学を断念し帰郷、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始めます。
当時40歳という遅いスタートであるが、国指定丸技作家の資格(備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受けたのを機に作陶への生涯を決意します。
金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進しました。特に金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力、桃山古備前の技法を基礎にしながらも、窯の中での自然の変容を生かした近代的な造形が特徴であります。
藤原啓の作品の数々は岡山県備前市にある「藤原備前三代, 炎の詩」において見ることができます。
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藤原 啓 年表
- 1899年
- 岡山県備前市穂浪出身。農業藤原伊三郎、世為の三男として生まれる。
- 1909年
- 「名月や掉さしかねて流す舟」の俳句を実業之日本社「日本少年」に応募して一等。
- 1913年
- 伊里尋常高等小学校卒業、私立閑谷中学校入学。
- 1915年
- 博文館が手がける「文学世界」に応募した短編が1等獲得。
- 1919年
- 上京し博文館編集部に勤務「文学世界」の編集を担当する。同郷の正宗白鳥、徳富蘆花の影響を強く受け詩の執筆も始める。川端洋画研究所 入所、3年間デッサンを学ぶ。
- 1922年
- 詩集「夕べの哀しみ」出版。神楽坂のホーリネス教会で洗礼を受けてヨハネ・ケイの名をもらう。
- 1928年
- 生田春月との共著「ハイネの訳詩集」出版。博文館の「婦人之国」の編集などにも携わった。
- 1930年
- 博文館を辞め作家として独立。
- 1937年
- 帰郷。
- 1938年
- 万葉学者の正宗敦夫から勧められ 三村梅景に師事し 築窯、原土の入手、ロクロ成形などの指導を受ける。
- 1939年
- 初窯を焚く。
- 1941年
- 金重陶陽と親交を深め、指導を受ける。
- 1948年
- 国指定丸技作家の資格を受けたのを機に作陶への生涯を決意する。金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進。
- 1954年
- 北大路魯山人の斡旋で日本橋高島屋にて個展を開く。岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。
- 1956年
- 日本工芸会正会員に推される。
- 1957年
- 岡山県無形文化財保持者認定。
- 1958年
- 日本工芸理事に就任。
- 1962年
- プラハ国際陶芸賞受賞。
- 1970年
- 重要無形文化財「備前焼」認定。
- 1972年
- 勲四等旭日章を受章。第19回日本伝統工芸展の鑑査員となり「備前大壺」を出品。
- 1976年
- 備前市名誉市民。財団法人藤原啓記念館設立。
- 1983年
- 肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて逝去。勲三等瑞宝章を受章。
藤原 啓 代表作
- 「備前緋襷水指」 (1959年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「備前窯変水盤」 (1962年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「備前筒形花生」 (1963年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「備前大徳利形壺」 (1971年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「緋襷茶碗」 (昭和20年代) 藤原啓記念館所蔵
- 「緋襷耳付花器」 (昭和30年代) 藤原啓記念館所蔵
- 「擂座壷」 (昭和40年代) 藤原啓記念館所蔵
- 「棗形壺」 (昭和50年代) 藤原啓記念館所蔵
- 「手桶」 (昭和50年代) 藤原啓記念館所蔵
- 「肩衝茶入」 (昭和50年代) 藤原啓記念館所蔵
- 「亀置物」 (昭和50年代) 藤原啓記念館所蔵

藤原 啓「緋襷茶碗」(昭和20年代)













