
井上 良斎 Ryousai Inoue

井上 良斎(1825〜1971)
(写真は「隅田焼」様より引用)
井上良斎は瀬戸の名匠。本名は井上良吉です。
初代良斎(良吉)は第一回内国勧業博覧会に花紋賞牌受賞を受け、パリ万国博覧会にも作品を出品しています。
二代目良齋(勝三郎)は、シカゴ万国博覧会で受賞したことに始まり、第四回内国勧業博覧会でも受賞しています。
三代目井上良齋(良太郎)は、父勝三郎が亡くなったため、家業の橋場窯を継承するために、それまで通っていた中学校を中退した。そして名匠と言われた板谷波山に師事して陶芸の道に入りました。
井上良斎の作品は「隅田焼」において見ることができます。
井上良斎の絵画・工芸品・陶芸買取は古美術八光堂にお任せください。全国どこへでも出張買取いたします。
井上 良斎 年表
- 1825年
- 井上良吉(初代井上良斎)が尾張國瀬戸村に誕生。
- 1848年
- 良吉、犬山の三代目川本治兵衛の窯に従事する。
- 1854年
- 江戸の豪商、島田惣兵衛が横浜の外国商館に陶磁器を売り込む。
- 1861年
- ロンドン万博で駐日公使オールコックが日本の美術を紹介、展示する。
- 1865年
- SUMIDA(隅田)陶磁器を欧米に輸出する米国商社バンタイン(Vantaine)が横浜に支店を設置島田惣兵衛が幕府方のパリ万博に出品する。
- 1873年
- ウイーン万博出品のため明治政府が東京に博覧会絵付所を設立。
- 1875年
- 豪商、島田惣兵衛の協力で、浅草橋場町に登り窯(橋場窯)を築く。
- 1876年
- フィラデルフィア万博に向け、工芸図案書「温知図録」の編集を開始。
- 1877年
- 内国第一回内国勧業博覧会で初代良斎が花紋賞を受ける初代良斎がパリ万博に出展する起立工商のために白磁網掛茶壷を作る。
- 1893年
- シカゴ万博に、二代目井上良斎が出品、受賞。
- 1896年
- 第四回内国勧業博覧会に二代目良斎が出品、受賞。
- 1899年
- 第9回東京府外九県連合共進会に石黒郷三が出品、受賞初代井上良斎が72歳で亡くなる。
- 1900年
- パリ万博に二代目良斎が出品、受賞、二代目良斎が万博のために渡欧。
- 1901年
- 二代目良斎、仏セーブル研究所で研究後、英国とロシアを旅行、体調を崩し帰国、帰国後、病床に伏す。
- 1904年
- セントルイス万博に井上良斎と石黒郷三が出品。
- 1905年
- 二代目良斎が51歳で亡くなる、息子、良太郎が三代目を襲名。
- 1914年
- 三代目良斎が横浜高島町に窯を築く、浅草橋場町から窯を移す。
- 1923年
- 関東大震災によって、横浜高島町の窯が崩壊、当地での復興を放棄。
- 1924年
- 良斎、横浜市港区永田町に登り窯(永田窯)を築く。
井上 良斎 代表作

井上 良斎「小猿の誕生を祝う猿達」(年)











