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尾形 乾山 Kenzan Ogata

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尾形 乾山(1663〜1743)

尾形乾山は京の大きな呉服商、雁金屋(かりがねや)の当主である尾形宗謙(おがたそうけん)の三男として生れた陶芸家です。
幼名は権平(ごんぺい)といい、すぐ上の兄市之丞(いちのじょう)は長じて光琳(こうりん)と号し、琳派として知られる装飾画派の大成者となった人です。

光琳、乾山という偉大な芸術家を出した尾形家には、それなりの素地があったのです。この雁金屋の初代、尾形道柏(どうはく)は、もと江州浅井藩の士で、雁金屋をおこしてからその業が隆々と栄えたのは、浅井氏の娘(淀君、徳川秀忠夫人、京極高次夫人)の引き立てがあったからといわれています。
乾山こと権平は、そういった大変いい血すじに生まれたわけですが、ここでもうひとつ、彼の将来に大きな意義を持った、見のがすことのできない要件があります。それは雁金屋の家業である呉服のことです。大奥の御用達である雁金屋のあつかう呉服が、ときの最高級品だったことはいうまでもありません。権平はものごころついて以来、そのきらびやかな衣裳の山にかこまれて育ったのです。後年の陶芸の意匠にそれがどれほど反映したか、計り知れぬものがあるといえるでしょう。
しかも当時の衣裳は、絵画的な大きな図柄を描き染めにしたものが主流をしめていたのです。江戸のはじめごろの呉服は、染めを主にしてこれに箔押しや刺繍しぼりなどの技法で細かな模様をあらわすのが普通でした。ところが明暦3年、寛文元年と短いあいだに江戸と京都をおそった大火が、この風潮を一変させてしまったのです。
火事で衣服を焼かれた富裕な階層から、大量の呉服の注文が一時に殺到したからです。それまでの手間ひまをかけた製法では、とても注文に追いつけない状況になったのです。いきおい比較的簡単にできる描き染めだけの、それも細密なパターンではなく、大柄な図文を描き流したものが主役を演ずることになり、それが当たって、ときの流行になるまでに至ったのです。
糊を使った染め抜きの技法、いわゆる友禅染の完成は、このような染小袖(そめこそで)の流行にいっそうの拍車をかけたといえるでしょう。肩から裾へかけて大きな図柄が奔放に描かれた、世に寛文小袖として名高い衣裳が、時代の寵児となっていったのです。京呉服の大店である雁金屋には、宗謙や光琳の差配のもとに、おかかえのデザイナーたちが腕をきそってつくった小袖が、常に山のように積まれていたことでしょう。権平はその宝の山で育ったのです。まことに幸せな生いたちといえます。
文人として窯を開き、作品を世に送り出そうとしていた乾山は、その性格からいっても、ありきたりの京焼とはちがった新機軸を出そうと思ったにちがいないはずです。彼自身、もちろん芸術の道になみなみならぬ意欲と自信を持ってはいたでしょうが、何にしても初めての仕事であり、一抹の不安があったろうことも想像されます。そこで画家としての評価も高まっていた兄光琳に、直接間接の応援を求めたのです。

光琳もこの一本気で風変わりな弟の願いに、こころよく応じたと思います。多くの軽妙な絵をその陶器の肌に染めています。また雁金屋の染意匠のひな形づくりにもたずさわっていた光琳は、そのしゃれた図案を乾山窯の陶器に応用することについて、いろいろと乾山に助言したと思われるのです。
かくて乾山の制作活動は順調なすべり出しをみせたのですが、鳴滝乾山窯はそれからあしかけ13年をへた正徳2年で終焉し、乾山は居を二条丁子屋に移します。表向きは鳴滝が町から遠く、よろずに不便だからということになっていますが、実情は研究や試験に莫大な費用を投ずるといった、学者商売の放漫経営がたたって財政が逼迫したからと思われます。しかし、兄光琳と乾山との合作の秀作は、鳴滝窯の終わりころから、この二条丁子屋町時代の前半に盛んに世に送り出されたのです。
二条に移ってからの乾山は、清水あたりの窯を借りて色目も柄もはなやかな、世間うけのする食器類を多くつくることによって生計をはかっていたようです。きらびやかな色絵ものは、だいたいにおいて、この時期の約20年間につくられたもののようです。乾山にしてみれば、やや本領をはずれる制作だったかもしれませんが、意匠の秀抜さと色目の豊かさが受けて、結構この商売は繁盛したらしいです。
今われわれが見る乾山陶の大部分は、鳴滝と二条の30余年間につくられたものです。二条に移って20年をへた享保16年に、69歳の乾山は鳥が飛びたつように江戸へ下り、いらい京には戻りませんでした。何が老年の彼を江戸に追いやったのか、まったくの謎ですが、江戸におもむいてからの乾山に、壮年期のような大作もなければ、さかんな作陶活動もなかったことは確かなようです。
そして寛保3年の夏、江戸で81歳の生涯を閉じます。

尾形乾山の作品の数々は東京都千代田区にある「出光美術館」において見ることができます。

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尾形 乾山 年表

 
1663年
京都の呉服商、雁金屋の三男として生まれる。
1699年
京都鳴滝泉谷に開窯。
1700年
かねてより尾形兄弟に目をかけていた二条綱平が京の北西・鳴滝の山荘を与えた為ここに窯を開く。
1712年
京都市内の二条丁子屋町(現在の二条通寺町西入北側)に移住し、多くの作品を手がけた。
1731年
江戸・入谷に移り住み。
1743年
81歳で没した。

尾形 乾山 代表作

「花籠図」 (年) 福岡市美術館所蔵、重要文化財
「金銀藍絵松樹文蓋物」 (年) 出光美術館所蔵、重要文化財
「銹藍金絵絵替皿」 (年) 根津美術館所蔵、重要文化財
「銹絵鶴図角皿」 (年) 藤田美術館所蔵
「銹絵寿老人図六角皿」 (年) 大倉集古館所蔵、重要文化財
「鳴滝窯出土陶片」 (年) 法蔵寺所蔵
「色絵紅葉文壺」 (年) 出光美術館所蔵
「深省茶碗絵手本(部分)」 (年) 出光美術館所蔵
尾形 乾山
尾形 乾山「色絵紅葉文壺」(年)

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