
酒井田 柿右衛門Kakiemon Sakaida

酒井田 柿右衛門(1596〜)
酒井田柿右衛門は、江戸時代、肥前国(佐賀県)有田の陶芸家です。および代々その子孫(後継者)が襲名する名称です。
良質の陶土が発見されたため現在の佐賀県西松浦郡有田町に移住した酒井田円西は、息子である喜三右衛門とともに陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたが、やがて17世紀前半に喜三右衛門は赤絵磁器の焼成に成功し、柿右衛門を名乗りました。
柿右衛門様式は、主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴である。上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられます。また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多いです。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせます。
濁手と呼ばれる独特の乳白色の地色は、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えると言われます。しかし、原料となる土の耐火性が強いなど調合が困難であります。さらに焼成時・乾燥時の体積変化が非常に大きいため、作製が困難であり歩留まりが良くありません。
図柄には「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」など典型的なパターンがいくつかあります。絵柄は時代とともに変化しており、初期は明赤絵の影響があったが、やがて狩野派、土佐派、四条派、琳派などの影響が入っていった。近年は写生を基にした現代的な画風が多いです。
酒井田柿右衛門の作品の数々は「独立行政法人国立美術館」において見ることができます。
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酒井田 柿右衛門 年表
- 1596年-1666年
- 初代。初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立。ヨーロッパ輸出 マイセン窯などでは模倣品も作られた。中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)の作品がヨーロッパに輸出。
- 1620年-1661年
- 二代。没した初代・息子二代。
- 1620年-1661年
- 三代。二代弟が三代。製作期が重なり、作風にも差はない。
- 1640年-1679年
- 四代。四代は三代の息子。四代までの間が初期柿右衛門とされる。
- 1660年-1691年
- 五代。五代は技量が芳しくなかったために、鍋島藩からの恒常的な発注が差し止められた。
- 1690年-1735年
- 六代。六代は意匠・細工に優れた叔父の渋右衛門にも助けられ、食器類・花器・香炉など様々な磁器製品を高い水準で量産することに成功、嘆願書を藩に提出、臨時の発注の一部が酒井田家に用命されることとなった。高い技術が要されることなどから七代以降に濁手作品は中絶。
- 1735年-1764年
- 七代。七代までが中期柿右衛門とされる。
- 1734年-1781年
- 八代。四角の中に福の字が入った「角福」が多い。
- 1776年-1836年
- 九代。
- 1805年-1860年
- 十代。十代までは後期柿右衛門。
- 1839年-1916年
- 十一代。十一代は「角福」のマークの商標登録の可否などを争う訴訟を起こして経済的に困窮、海外にも積極的な出品。出資する事業家と共同で十二代柿右衛門合資会社を設立 赤絵技術と「角福」銘を供与した。
- 1878年-1963年
- 十二代。美術品制作を志向する十二代は会社と経営方針が合わず、関係を解消。以降それぞれが「柿右衛門」作品を制作。和解、その後合資会社は名義を使用していない。
- 1906年-1982年
- 十三代。濁手の復活を目標とし、1初めて濁手の作品を発表。濁手の製作技術は国の無形文化財に指定。重要無形文化財。
- 1982年-年
- 十四代。当代。人間国宝。
酒井田 柿右衛門 代表作
- 「大壺」 (1650年) 東京国立博物館所蔵
- 「色絵草花文蓋物」 (1957年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「色絵草花文大鉢」 (1975年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「濁手つつじ文鉢」 (1986年) 東京国立近代美術館所蔵

酒井田 柿右衛門「大壺」(1650年)











