
石川 啄木Takuboku Ishikawa

石川 啄木(1886〜1912)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
石川啄木は日本の歌人、詩人、評論家です。本名は、石川一(いしかわはじめ)。
1歳の時に父が渋民村・宝徳寺の住職となり同村が啄木の「ふるさと」になります。小学校を首席で卒業し、地元では神童と呼ばれます。
盛岡の中学では4歳年上の金田一京助(後の言語学者)から文学の面白さを教えられ、文芸雑誌『明星』を熟読して与謝野晶子に影響を受け、また初恋にも夢中になります。
『明星』に投稿した短歌が掲載されたこともあって文学で身を立てるつもりだったが、与謝野鉄幹・晶子夫妻の知遇を得たものの仕事は何も見つからず、家賃を滞納して下宿を追い出され半年も経たずに帰郷します。
17歳の時に初めて“啄木”の号を名乗り『明星』に長詩を発表、注目されます。
石川啄木につきましては岩手県盛岡市玉山区にある「石川啄木記念館」において見ることができます。
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石川 啄木 年表
- 1886年
- 岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)の曹洞宗日照山常光寺の住職・石川一禎と妻・カツの長男として生まれる。
- 1901年
- 友人とともに『岩手日報』に短歌を発表し、啄木の作品も「翠江」の筆名で掲載される。
- 1902年
- 中学校を退学し、文学で身を立てる決意をもって上京し、正則英語学校に通う。
- 1905年
- 新詩社の新年会に参加。
- 1907年
- 函館の文芸結社苜蓿社より原稿の依頼があり松岡蕗堂らと知遇を得る。
- 1908年
- 小樽市内の「社会主義演説会」で当時の社会主義者、西川光次郎の講演を聞き、西川と面識を得る。
- 1909年
- 『スバル』創刊、発行名義人になる。
- 1910年
- 『二葉亭全集』の校正を終え、引き続き出版事務全般を受け持つ。
- 1912年
- 小石川区久堅町にて肺結核のため死去。
石川 啄木 代表作
- 「詩集 あこがれ」 (1905年) 石川啄木記念館所蔵
- 「歌集 一握の砂」 (1910年) 石川啄木記念館所蔵
- 「選歌原稿」 (年) 石川啄木記念館所蔵
- 「歌原稿」 (年) 石川啄木記念館所蔵
- 「歌集 一握の砂」 (1910年) 石川啄木記念館所蔵

石川 啄木「歌原稿」(年)











