
嘉納 治五郎 Jigoro Kano

嘉納 治五郎(1860〜1938)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
嘉納治五郎は明治から昭和にかけての柔道家、教育者であります。
講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、日本に於けるスポーツの道を開きました。
「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれます。オリンピック、世界選手権に出場する柔道日本代表選手団が大会前に必勝祈願として、嘉納治五郎の墓参りをすることが恒例となっています。
嘉納治五郎の作品の数々は東京都渋谷区にある「嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」において見ることができます。
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嘉納 治五郎 年表
- 1860年
- 摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で父・嘉納治朗作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。
- 1873年
- 明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京にて書道・英語などを学んだ。
- 1874年
- 育英義塾に入塾。
- 1877年
- 東京大学に入学した。
- 1879年
- 渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて7月 3日から来日中のユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。
- 1881年
- 東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。
- 1882年
- 下谷北稲荷町16(現・台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁、将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。
- 1883年
- 起倒流皆伝。
- 1909年
- 日本人初のIOC委員となる。
- 1911年
- 大日本体育協会(現・日本体育協会)を設立してその会長となる。
- 1912年
- 日本が初参加したストックホルムオリンピック於いては団長として参加した。
- 1938年
- IOC総会からの帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去。
嘉納 治五郎 代表作
- 「書」 (1936年) 国立公文書館所蔵

嘉納 治五郎「書」(1936年)











