
勝 海舟 Kaisyu Katsu

勝 海舟(1823〜1899)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
勝海舟は江戸時代末期から明治期にかけての幕臣、政治家。位階勲等は正二位勲一等伯爵。
幼名および通称は麟太郎(りんたろう)。本名義邦(よしくに)、維新後改名して安芳。
これは幕末に武家官位である「安房守」を名乗ったことから勝 安房(かつ あわ)として知られていたため、維新後は「安房」を避けて同音(あん竏窒ルう)の「安芳」に代えたもの。勝本人は「アホウ」とも読めると言っています。
海舟は号で、佐久間象山から受領の篆刻「海舟書屋」からとったものであります。山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれます。
また、専修学校(現:専修大学)の繁栄にも尽力し、専修学校に「律増甲乙之科以正澆俗 礼崇升降之制以極頽風」という有名な言葉を贈って激励・鼓舞しました。
勝海舟の作品の数々は東京都墨田区にある「江戸東京博物館」において見ることができます。
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勝 海舟 年表
- 1823年
- 江戸本所亀沢町の生まれ。
- 1853年
- ペリー艦隊が来航(いわゆる黒船来航)し開国を要求されると、老中首座の阿部正弘は幕府の決断のみで鎖国を破ることに慎重になり、海防に関する意見書を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集した。
- 1860年
- 幕府は日米修好通商条約の批准書交換のため、遣米使節を米国へ派遣する。
- 1862年
- 幕政改革で海軍に復帰。
- 1866年
- 軍艦奉行に復帰、徳川慶喜に第二次長州征伐の停戦交渉を任される。
- 1868年
- 官軍の東征が始まると、対応可能な適任者がいなかった幕府は勝を呼び戻した。
- 1869年
- 維新政府の外務大丞に任官。
- 1870年
- 兵部大丞を辞す。
- 1873年
- 参議に転任し、海軍卿を兼任。
- 1874年
- 正四位に昇叙し、参議・海軍卿如元。
- 1875年
- 元老院議官を辞す。
- 1887年
- 伯爵を受爵。
- 1888年
- 枢密顧問官に任官。
- 1889年
- 勲一等瑞宝章を受ける。
- 1890年
- 貴族院議員に当選するものの辞退。
- 1894年
- 従二位に昇叙し、枢密顧問官如元。
- 1896年
- 枢密顧問官辞表を提出するが、11月4日、却下。
- 1898年
- 旭日大綬章を受ける。
- 1899年
- 死去。
勝 海舟 代表作
- 「掛軸」 (年)
- 「求友館 額」 (年)

勝 海舟「求友館 額」(年)











