
森 鴎外 Ougai Mori

森 鴎外(1862〜1922)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
森鴎外は明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、戯曲家、陸軍軍医、官僚(高等官一等)。正四位・勲二等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり・りんたろう)。
石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京帝国大学医学部卒業。第一次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されます。
大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごしました。帰国後、訳詩編『於母影』、小説『舞姫』、翻訳『即興詩人』を発表し、また自ら文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入りました。
その後、軍医総監(中将相当)となり、一時期創作活動から遠ざかったが、『スバル』創刊後に『ヰタ・セクスアリス』『雁』などを執筆。
乃木希典の殉死に影響されて『興津弥五右衛門の遺書』発表後は、『阿部一族』『高瀬舟』などの歴史小説、史伝『澁江抽斎』を書きました。
晩年は帝室博物館(現在の東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任しました。
森鴎外の作品の数々は島根県鹿足郡津和野町にある「森鴎外記念館」において見ることができます。
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森 鴎外 年表
- 1862年
- 石見国津和野(現島根県)で生まれた。
- 1872年
- 廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京。
- 1873年
- 入校試問を受け、第一大学区医学校(現・東京大学医学部)予科に入学。
- 1881年
- 19歳で本科を卒業。
- 1882年
- 東京大学医学部卒の同期8名の中で最初の軍医本部付となる。
- 1884年
- 衛生学を修めるとともにドイツ陸軍の衛生制度を調べるため、ドイツ留学を命じられた。
- 1886年
- ミュンヘン大学のペッテンコーファーに師事した。
- 1894年
- 日清戦争が勃発したため、鴎外は8月29日に東京を離れ、9月2日に広島の宇品港を発った。
- 1895年
- 5月に近衛師団つきの従軍記者、正岡子規が帰国の挨拶のため、第2軍兵站部軍医部長の鴎外を訪ねた。
- 1906年
- 日露戦争に第2軍軍医部長として出征。
- 1916年
- 任官時の年齢が低いこともあり、トップの陸軍省医務局長を8年半つとめて退き、予備役に編入された。
- 1918年
- 帝国美術院(現日本芸術院)初代院長となった。
- 1922年
- 7月9日午前7時すぎ、親族と親友の賀古鶴所らが付きそう中、萎縮腎、肺結核のために死去。
森 鴎外 代表作
- 「舞姫」 (1890年)
- 「ヰタ・セクスアリス」 (1909年)
- 「青年」 (1910年)
- 「雁」 (1911年)
- 「かのように」 (1912年)
- 「阿部一族」 (1913年)
- 「山椒大夫」 (1915年)
- 「高瀬舟」 (1916年)
- 「寒山拾得」 (1916年)
- 「北条霞亭」 (年)

森 鴎外「北条霞亭」(年)











