
夏目 漱石 SousekiNatsume

夏目 漱石(1867~1916)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
夏目漱石は日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。
『吾輩は猫である』『こゝろ』などの作品で広く知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後に東京帝国大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学教師、熊本で五高教授などを務めた後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝大講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書きます。
その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。
「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私」(そくてんきょし)の境地に達したといわれます。
晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となりました。
夏目漱石の作品の数々は仙台市青葉区にある「東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ」において見ることができます。
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夏目 漱石 年表
- 1867年
- 江戸の牛込馬場下で数代前から続く町方名主夏目小兵衛直克、千枝の末子(五男)として出生。
- 1868年
- 塩原昌之助の養子になる。
- 1870年
- この頃種痘から疱瘡にかかり、薄く痘の痕が顔に残る。
- 1874年
- 公立戸田学校(のち台東区立精華小学校)。
- 1876年
- 公立市谷学校(現・新宿区立市谷小学校)下等小学第四級に転校。
- 1878年
- 市谷学校上等小学第八級を卒業。
- 1879年
- 東京府立第一中学校正則科(東京都立日比谷高等学校の前身)に入学。
- 1881年
- 実母死去。第一中学退学。
- 1883年
- 神田駿河台の成立学舎に入学。
- 1884年
- 大学予備門(明治19年に第一高等中学校に名称変更)予科入学。
- 1887年
- 功績により子爵に任ぜられる。
- 1888年
- 夏目家に復籍。
- 1889年
- 正岡子規を知る。
- 1890年
- 帝国大学(後の東京帝国大学)文科大学英文科入学。
- 1892年
- 東京専門学校(現在の早稲田大学)講師に就任。
- 1893年
- 大学卒業。
- 1894年
- 初期の肺結核と診断される。
- 1895年
- 菅虎雄、嘉納治五郎の斡旋で愛媛県尋常松山中学校(愛媛県立松山東高等学校の前身)に赴任。
- 1896年
- 熊本県の第五高等学校講師に就任。
- 1897年
- 実父直克死去。
- 1899年
- 長女筆子誕生。
- 1900年
- イギリスに留学(途上でパリ万国博覧会を訪問)。
- 1901年
- 次女恒子誕生。
- 1903年
- 帰国後は一高、東京帝国大学講師に。三女栄子誕生。
- 1904年
- 明治大学講師。
- 1905年
- 『ホトトギス』に「吾輩は猫である」を発表、連載を始める。
- 1907年
- 朝日新聞社入社。
- 1910年
- 胃潰瘍のため大吐血、一時危篤。
- 1911年
- 関西での講演後、胃潰瘍が再発し、大阪で入院。
- 1913年
- 強度の神経衰弱に悩まされる。北海道から東京に転籍し東京府平民に戻る。
- 1915年
- 芥川龍之介などが木曜会に参加する。
- 1916年
- 12月9日午後7時前、胃潰瘍の悪化により、「明暗」執筆途中に死去。
夏目 漱石 代表作
- 「吾輩は猫である」 (1905年)
- 「坊っちゃん」 (1907年)
- 「草枕」 (1906年)
- 「野分」 (1907年)
- 「三四郎」 (1908年)
- 「門」 (1911年)
- 「彼岸過迄」 (1912年)
- 「道草」 (1915年)
- 「明暗」 (1916年)
- 「五言絶句」 (年)

夏目 漱石「五言絶句」(年)













