
頼 山陽 Sanyo Rai
頼 山陽(1780〜1832)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
頼山陽は江戸時代後期の歴史家、漢詩人、文人であります。
芸術にも造詣が深い、また陽明学者でもあり、大塩平八郎に大きな影響を与えています。幼名は久太郎(ひさたろう)、諱は襄(のぼる)、字は子成。山陽は号であります。
また三十六峯外史とも号し、安政の大獄で処刑された頼三樹三郎は三男。子孫の1人に中国文学者の頼惟勤(らい つとむ)がいます。
頼山陽の作品の数々は広島市中区袋町にある「頼山陽史跡資料館」において見ることができます。
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頼 山陽 年表
- 1780年
- 山陽が生まれた。
- 1781年
- 春水が広島藩の学問所創設にあたり儒学者に登用されたため転居。
- 1797年
- 江戸に遊学し、父の学友・尾藤二洲に師事した。
- 1800年
- 突如脱藩を企て上洛し京都の放蕩仲間・福井新九郎(後の典医・福井晋)の家に潜伏する。
- 1809年
- 学者としての名声を満天下に轟かせたいとの思いから2年後に京都へ出奔した。
- 1811年
- 洛中に居を構え開塾する。
- 1816年
- 父・春水が亡くなるとその遺稿をまとめ『春水遺稿』として上梓。
- 1826年
- 彼の代表作となる『日本外史』が完成。
- 1832年
- 没。享年53。
頼 山陽 代表作
- 「寒岩枯木図」 (1820年)
- 「美人詠」 (年)
- 「甑坂」 (年)
- 「漢詩」 (年)

頼 山陽「漢詩」(年)











