
西郷 南洲 Takamori Saigo
西郷 南洲(1828〜1877)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
西郷南洲は明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、戯曲家、陸軍軍医、官僚(高等官一等)。正四位・勲二等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり・りんたろう)。
西郷吉兵衛隆盛の長子。名(諱)は元服時には隆永(たかなが)、のちに武雄、隆盛(たかもり)と改めました。
幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉之助と順次変えました。号は南洲(なんしゅう)。
隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父吉兵衛の名を届けたため、それ以後は父の名を名乗ったからであります。
一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門などの変名も名乗った、本名は8代目西郷吉兵衛隆永と言います。
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり」
西郷南洲の作品の数々は鹿児島市上竜尾町にある「西郷南洲顕彰館」において見ることができます。
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西郷 南洲 年表
- 1827年
- 鹿児島城下の下加治屋町山之口馬場で、父九郎隆盛・母マサの長男として生まれる。
- 1833年
- 松本覚兵衛について儒学を学び始める。
- 1839年
- 造士館からの帰途、友人と争い、右ひじを負傷する。
- 1843年
- 三弟信吾(隆興・従道)生まれる。
- 1844年
- 藩の郡方書役助(こおりかたかきやくすけ)となり、郡奉行迫田太次右衛門利済の配下につく。
- 1847年
- 四弟小兵衛(隆雄)生まれる。
- 1850年
- このころ伊藤茂右衛門に陽明学を、無参禅師に禅学を学ぶ。
- 1852年
- 伊集院兼寛の姉と結婚。
- 1854年
- 中小姓となり、藩主斉彬に従って江戸に上る。
- 1957年
- 藩主斉彬に従って帰国。
- 1858年
- 帰藩して斉彬に関東の情勢を報告。
- 1859年
- 山川を出帆し、奄美島竜郷村着。
- 1861年
- 藩より召還命令を受ける。
- 1862年
- 久光は激怒して、西郷らの捕縛を命ず、西郷・村田は捕らえられ、鹿児島に護送される。
- 1863年
- 薩英戦争が起こる。
- 1864年
- 征長軍総督徳川慶勝より長州の処分を一任される。
- 1865年
- 坂本龍馬を同行して帰国。
- 1866年
- 藩政改革と陸海軍拡張を進言。
- 1867年
- 後藤と会い、土佐藩の大政奉還建白書提出論を聞く。
- 1868年
- 鹿児島凱旋。日当山温泉で静養する。
- 1869年
- 維新の功により、永世二千石の賞典禄を受ける。
- 1870年
- 鹿児島藩の大参事にな。
- 1871年
- 忠義に従い、常備四大隊を率いて上京。
- 1872年
- 御親兵を近衛兵にする。
- 1873年
- 徴兵令による陸軍大将兼参議に任ぜられる。
- 1874年
- 私学校設立。
- 1875年
- 鹿児島郊外の吉野に開墾社設立。
- 1876年
- 下野した久光の使者が来て、協力を求める。
- 1877年
- 城山岩崎谷で銃弾に当たり、別府晋介の介錯により自決する。
西郷 南洲 代表作
- 「示子弟」 (年) 個人所蔵
- 「掛軸三行書」 (年) 個人所蔵
- 「行草書七字對」 (年) 個人所蔵
- 「三行書」 (年) 個人所蔵

西郷 南洲「行草書七字對」(年)











