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徳川 斉昭Nariaki Tokugawa

徳川斉昭 写真

徳川 斉昭(1800〜1860)

(写真は「ウィキペディア」様より引用)

徳川斉昭は江戸時代末期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)の将軍・徳川慶喜の実父であります。

第7代藩主・徳川治紀の三男。母は公家の外山氏。第15代将軍・徳川慶喜の実父であります。
幼名は虎三郎、敬三郎。諡号は烈公、字は子信、号は景山、潜龍閣。
神号は「押健男国之御楯命」(おしたけおくにのみたてのみこと)・「奈里安紀良之命」(なりあきらのみこと)など。官位は従三位権中納言だが、薨後、正一位権大納言が贈られています。
藩政改革に成功した幕末期の名君の一人である。しかし将軍継嗣争いで井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去しました。

徳川斉昭の作品の数々は「古典籍総合データベース」において見ることができます。

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徳川 斉昭 年表

 
1800年
水戸藩第7代藩主・徳川治紀の三男として水戸徳川家江戸小石川藩邸で生まれる。
1829年
長兄で第8代藩主・徳川斉脩の死後、大名昇進を画策する附家老の中山信守を中心とした門閥派より第11代将軍・徳川家斉の第20子・恒之丞(徳川斉彊)を養子に迎える動きがあったが、これを抑えて下士層の支持を得て家督を継ぎ、第9代藩主となる。
1832年
有栖川宮織仁親王の皇女・登美宮吉子と結婚する。
1844年
鉄砲斉射の事件をはじめ、前年の仏教弾圧事件などを罪に問われて、幕命により家督を嫡男の徳川慶篤に譲った上で強制隠居と謹慎処分を命じられた。
1846年
謹慎を解除。
1849年
藩政関与が許された。
1853年
ペリーの浦賀来航に際して、老中首座・阿部正弘の要請により海防参与として幕政に関わったが、水戸学の立場から斉昭は強硬な攘夷論を主張した。
1855年
軍制改革参与に任じられるが、同年の安政の大地震で藤田東湖や戸田忠太夫らのブレーンが事故死してしまうなどの不幸もあった。
1857年
阿部正弘が死去して堀田正睦が名実共に老中首座になると、さらに開国論に対して猛反対し、開国を推進する井伊直弼と対立する。
1858年
直弼が大老となって日米修好通商条約を独断で調印してしまい、さらに将軍職も慶福(家茂)を第14代将軍としてしまったのである。
1859年
孝明天皇による戊午の密勅が水戸藩に下されたことが井伊直弼の逆鱗に触れ、水戸での永蟄居を命じられることになり、事実上は政治生命を絶たれる形となった(安政の大獄)。
1860年
蟄居処分が解けぬまま心筋梗塞により水戸で急逝した。享年61(満 60歳没)。

徳川 斉昭 代表作

「書」 (年) 古典籍総合データベース所蔵
「扁額 誠之館」 (年)
「書簡」 (年) 古典籍総合データベース所蔵
「告志篇」 (年) 古典籍総合データベース所蔵
「徳川斉昭書簡」 (年) 古典籍総合データベース所蔵
徳川 斉昭
徳川 斉昭「書」(年)

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