
山岡 鉄舟 Tessyu Yamaoka

山岡 鉄舟(1836~1888)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
山岡鉄舟は東京生まれた日本の武士・幕臣、政治家、思想家。爵位は子爵。剣、禅、書の達人としても知られます。
伊勢地方に多くの作品が残ることから、かつては伊勢の出身とされたこともあったが、近年の研究の進展により、「丹波屋」と号する京都に商人の子として生まれ、本姓を三浦と称したことなどが明らかになっています。
官展を中心に活躍し、帝展・文展無鑑査となります。
戦後は大集会に所属し大阪市展の審査員もつとめました。
写実味の強い水墨山水を得意とする赤松は日本南画院同人になり、画塾墨雲社にも主宰しました。
山岡鉄舟の作品の数々は東京都台東区にある「臨済宗国泰寺派 全生庵」において見ることができます。
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山岡 鉄舟 年表
- 1836年
- 江戸本所に御蔵奉行・木呂子村の知行主である小野朝右衛門高福の四男として生まれる。
- 1844年
- 久須美閑適斎より神陰流(直心影流)剣術を学ぶ。
- 1846年
- 飛騨郡代となった父に従い、幼少時を飛騨高山で過ごす。
- 1852年
- 父の死に伴い江戸へ帰る。
- 1857年
- 清河八郎ら15人と尊王攘夷を標榜する「虎尾の会」を結成。
- 1863年
- 浪士組(新撰組の前身)取締役となり、将軍・徳川家茂の先供として上洛するが、間もなく清河の動きに警戒した幕府により浪士組は呼び戻され、これを引き連れ江戸に帰る。
- 1868年
- 精鋭隊歩兵頭格となる。
- 1872年
- 宮中に出仕し、10年間の約束で侍従として明治天皇に仕える。
- 1873年
- 皇居仮宮殿が炎上した際、淀橋の自宅からいち早く駆けつけたなど、剛直なエピソードが知られている。
- 1882年
- 西郷との約束どおり致仕。
- 1887年
- 功績により子爵に任ぜられる。
- 1888年
- 皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命。死因は胃癌であった。
山岡 鉄舟 代表作
- 「無刀流と称する説」 (年)
- 「剣術の流名を無刀流と称する訳書」 (年)
- 「無刀流剣術大意」 (年)
- 「竹刀長短の是非を弁ず」 (年)
- 「素面木刀試合の説」 (年)
- 「自筆書」 (年) 永江院所蔵
- 「自筆書」 (年) 臨済宗国泰寺派 全生庵所蔵

山岡 鉄舟「書」(年)













