
与謝野 鉄幹Tekkan Yosano

与謝野 鉄幹(1873〜1935)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
与謝野鉄幹は歌人です。本名は寛、鉄幹は号です。
与謝野晶子の夫。後に、慶應義塾大学教授、文化学院学監になります。
次男与謝野秀は外交官として活躍。東京五輪事務長を歴任。秀の長男が衆議院議員与謝野馨であります。
与謝野鉄幹の作品の数々は「与謝野家の人々」において見ることができます。
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与謝野 鉄幹 年表
- 1873年
- 京都府岡崎(現・京都市左京区)に与謝野礼厳の4男として生まれる。
- 1883年
- 大阪府住吉郡の安養寺の安藤秀乗の養子となる。
- 1889年
- 西本願寺で得度の式をあげた後、山口県徳山町の兄照幢の寺に赴き。
- 1890年
- 鉄幹の号をはじめて用いた。
- 1891年
- 養家を離れ与謝野姓に復した。
- 1892年
- 徳山女学校を辞して京都へ帰る。
- 1894年
- 短歌論「亡国の音」を発表。
- 1896年
- 出版社明治書院の編集長となる。
- 1897年
- 歌集「天地玄黄」を世に出す。
- 1899年
- 東京新詩社を創立。
- 1900年
- 「明星」を創刊。
- 1901年
- 晶子と再婚し六男六女の子宝に恵まれた。
- 1901年
- 「みだれ髪」刊行。
- 1901年
- 晶子と再婚し六男六女の子宝に恵まれた。
- 1911年
- 晶子の計らいでパリへ行く。
- 1915年
- 第12回総選挙に故郷の京都府郡部選挙区から無所属で出馬したが、落選した。
- 1922年
- 森鴎外の死は鉄幹にとって有力な庇護者を失うに等しい打撃であった。
- 1931年
- 雑誌「冬柏」を創刊。
- 1933年
- 上海事変に取材した「爆弾三勇士の歌」の毎日新聞による歌詞公募に応じ、一等入選を果たした。
- 1935年
- 気管支カタルがもとで死去。
与謝野 鉄幹 代表作
- 「爆弾三勇士の歌」 (1933年)
- 「書」 (年)
- 「十和田湖其他」 (年)
- 「書」 (年)

与謝野 鉄幹「十和田湖其他」(年)











