
瑛 九 Kyu Ei

瑛 九(1911〜1960)
(写真は「dokidoki」様より引用)
瑛九は愛知県に生まれた日本の画家、版画家、写真家です。本名、杉田秀夫。
前衛的な作品、抽象的な作品(抽象絵画)が多いです。
宮崎県宮崎市出身、日本美術学校に卒業しました。
戦前では最もまとまった、しかも質の高いフォトグラム作品集で、瑛九のフォトグラムは特に「フォト・デッサン」とも呼ばれます。
戦後は、むしろ絵画や版画(銅版画、リトグラフ)の制作に力を入れました。
自由美術家協会、創造美育協会などにも参加し、オノサトトシノブと、深い親交を結びます。
瑛九の作品は名古屋市東区にある「愛知県立美術館」で鑑賞することができます。
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瑛 九 年表
- 1911年
- 宮崎県生まれる。
- 1924年
- 宮崎県立宮崎中学校(現・宮崎県立大宮高等学校)に入学。
- 1925年
- 中学を退学し上京、日本美術学校洋画科に入学し、この頃より油絵を描く。
- 1927年
- 美術評論を書き始め、『みずゑ』『アトリエ』などに投稿する。5月、日本美術学校を退学。
- 1930年
- オリエンタル写真学校に入学し写真の研究を行う。
- 1931年
- 宮崎に帰り、徴兵検査を受けるも不合格となる。
- 1932年
- 写真評論を離れて油絵の制作を開始。
- 1934年
- 兄・正臣の影響で、ザメンホフが創案した国際語―エスペラント語を勉強し始める。
- 1935年
- 中央美術展(東京府美術館)に油絵《海辺》が入選する。
- 1936年
- 印画紙による新しい作品を制作し上京、久保貞次郎と共に画家・長谷川三郎を訪ねる。
- 1937年
- 第1回展にフォト・モンタージュ作品を出品する。
- 1938年
- 自由美術家協会を退会。
- 1939年
- 宮崎で「瑛九・杉田秀夫個人展覧会」(大潮社)開催。
- 1940年
- 独立美術協会の研究所などに入る。
- 1944年
- 腸捻転のため谷口外科病院に入院、手術を受ける。
- 1945年
- 戦争を避け、宮崎県北諸県郡野尻村に疎開する。
- 1946年
- 日本共産党に入党し各地で講演を行うが、病気再発により6月に離党する。
- 1948年
- 谷口都と結婚し、フォト・デッサンの制作を再開。
- 1950年
- 東京で「瑛九フォト・デッサン展」(上野・松坂屋)を開催。
- 1951年
- 「デモクラート美術協会」を結成。
- 1952年
- デモクラート美術協会・東京第1回展を銀座松島画廊で開催。
- 1954年
- 久保貞次郎コレクションによる「西洋版画展」。
- 1955年
- 「瑛九フォト・デッサン展」(日本橋・高島屋)を開催。
- 1956年
- リトグラフの制作に専念する。
- 1959年
- 油彩の大作の制作に没頭するも疲労がつのり病床につく。
- 1960年
- 病状急変し急性心不全により48歳で永眠。
瑛 九 代表作
- 「デッサン1〜8」 (1935年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「フォト・デッサン」 (1936年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「無題」 (1937年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「レアル」 (1937年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「しゃがんで」 (1951年) 愛知県立美術館所蔵
- 「SCALE II」 (1951年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「白い輪」 (1954年) 愛知県立美術館所蔵
- 「航海」 (1956年) 愛知県立美術館所蔵
- 「春のおとずれ」 (1957年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「れいめい」 (1957年)
- 「田園」 (1959年)

瑛 九「れいめい」(1957年)











