
児島 虎次郎 Kojima Torajiro

児島 虎次郎(1881~1934)
(写真は「成羽町美術館」様より引用)
児島虎次郎は、日本の洋画家です。岡山県川上郡下原村(現在の高梁市成羽町)に児島弥吉 雪の次男として生まれます。生家は「橋本屋」と称して旅館、仕出し業を営んでいました。
明治34年(1901年)絵画を学ぶため上京、明治35年(1902年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科選科に入学します。倉敷の実業家大原家の奨学生となります。
のち、大原家当主となった1歳年上の大原孫三郎とは生涯親交を持ち、経済的援助を受け続けました。
明治37年(1904年)異例の早さで卒業し、明治41年(1908年)ヨーロッパに留学。明治42年(1909年)ベルギーのゲント美術アカデミーに入学します。明治45年(1912年)には同校を首席で卒業し、大正元年となった同年11月に帰国。
大正2年(1913年)石井十次の長女・友と結婚し、その後、絵画制作の傍ら中国・朝鮮を旅行します。また、孫三郎の依頼を受け絵画買い付けのため数度ヨーロッパに渡り、モネ、エル・グレコ、ゴーギャン、ロダンなどの作品を購入しました。
この収集品が後の大原美術館建設の礎となりました。なお、倉敷アイビースクエア内に、彼を顕彰し大原美術館別館として「児島虎次郎記念館」が開設されています。
大正13年(1924年)明治神宮奉賛会より明治天皇を讃える壁画の作成を依頼されます。しかし病に倒れ、この作品を完成することなく昭和4年(1929年)死去しました。享年47。
なお、この壁画は友人の吉田苞により昭和9年(1934年)に完成し、明治神宮聖徳記念絵画館に所蔵されています。児島虎次郎の作品は「成羽町美術館」や「大原美術館」などで鑑賞することができます。
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児島 虎次郎 年表
- 1881年
- 岡山県川上郡下原村に児島弥吉 雪の次男として生まれる。生家は「橋本屋」と称して旅館、仕出し業を営んでいた。
- 1901年
- 絵画を学ぶため東京に出る。
- 1902年
- 東京美術学校西洋画科選科に入学。倉敷の実業家大原家の奨学生となる。
- 1904年
- 異例の早さで卒業。
- 1908年
- ヨーロッパに留学。
- 1909年
- ベルギーのゲント美術アカデミーに入学。
- 1912年
- 同校を首席で卒業。同年11月に帰国。
- 1913年
- 石井十次の長女・友と結婚。絵画制作の傍ら中国・朝鮮を旅行。孫三郎の依頼を受け絵画買い付けのため数度ヨーロッパに渡りモネ、エル・グレコ、ゴーギャン、ロダンなどの作品を購入した。この収集品が後の大原美術館建設の礎となった。「児島虎次郎記念館」が開設されている。明治神宮奉賛会より明治天皇を讃える壁画の作成を依頼された
- 1929年
- 死去。享年47。
- 1934年
- 完成。明治神宮聖徳記念絵画館に所蔵。
児島 虎次郎 代表作
- 「里の水車」 (1906年) 大原美術館
- 「登校」 (1906年) 成羽町美術館
- 「なさけの庭」 (1907年) 宮内庁三の丸尚蔵館
- 「ベゴニアの畠」 (1910年)
- 「睡れる幼きモデル」 (1912年)
- 「自画像」 (1917年)
- 「仙酔島」 (1917年)
- 「アルハンブラ宮殿」 (1920年)
- 「酒津の庭(水連)」 (1924-28年頃) 静岡県立美術館
- 「対露宣戦布告御前会議」 (1934年) 明治神宮聖徳記念絵画館 児島虎次郎死後に吉田苞が完成させる

児島 虎次郎「登校」(1906年)











