
倉田 白羊 Hakuyo Kurata

倉田 白羊(1881〜1938)
倉田白羊は日本の洋画家です。自然をモデルにした作品を多く発表しました。山本鼎の提唱した農民美術運動の協力者でもあります。本名は重吉(しげよし)。
太平洋画会や文展、日本美術院洋画部などで活躍しました。また、春陽会の創設にも関わりました。写実的な農村風景をモチーフにした作品を多く制作したことでも知られています。
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倉田 白羊 年表
- 1881年
- 倉田務(幽谷と号した漢学者)の末っ子として、埼玉県浦和に生まれる。
- 1894年
- 洋画家・浅井忠の門下生となる。(同じ門下生 石井柏亭と親しくなる)。
- 1896年
- 師・浅井が東京美術学校の教師となる。
- 1898年
- 東京美術学校 入学。
- 1901年
- 同校を首席で卒業。
- 1902年
- 太平洋画会に参加。「白羊」の雅号を用いるようになる。
- 1907年
- 第一回文部省美術展覧会『つゆはれ』入選。
- 1908年
- 山本鼎・石井柏亭・森田恒友と美術文芸雑誌『方寸』参加。「パンの会」参加。
- 1912年
- 『川のふち』夏目漱石の美術批評に取り上げられる。
- 1915年
- 日比谷美術館個展。押川春浪を中心としたスポーツ社交団体「天狗倶楽部」入会。
- 1916年
- 倶楽部の旅行で朝鮮・満州に出かける。これが倉田の転機となる。
- 1922年
- 日本農民美術研究所の副所長。
- 1934年
- 持病の糖尿病が悪化し右目を失明する。その後も絵は描きつづけたが、病状は悪化。
- 1938年
- 完全に失明。同年11月29日に死去。
倉田 白羊 代表作
- 「房州風景」 (1918年)
- 「六月」 (1919年)
- 「漁村風景」 (1921年)
- 「みどりの木陰道」 (1929年)
- 「山ふところ」 (1933年)
- 「秋陽」 (1935年頃)
- 「たきび」 (1935年)
- 「井戸端」 (1936年)

倉田 白羊「山ふところ(一部)」(1933年)











