
野口 弥太郎 Yataro Noguchi

野口 弥太郎(1899〜1976)
(写真は「野口弥太郎美術館」様より引用)
野口弥太郎は東京・本郷に生まれた洋画家です。
30歳で初渡欧し、4年間の滞欧生活を送りました。
帰国後は所属する独立美術協会において活躍し、ヨーロッパで学んだフォービズム的体質と洗練された色彩感覚をもって戦後の洋画壇における具象系の代表作家としてその地位を築きました。
再度渡欧し、スペイン絵画と出会った時には、「これだな。と身近に感じるものを覚えた。」と語っているようにスペイン系絵画の中に東洋的精神に通じるものを実感したようです。
そして骨太い筆触による大胆な空間構成を会得しました。また、ベラスケスやゴヤの作品の影響もあり、ヨーロッパの美を描くなかで、黒色の美しい階調に魅入られています。
晩年は、南画風の筆触を通して、日本的フォービズムの典型を示すとともに、昭和51年春、76歳の生涯を閉じるまで長崎の画家たちに中央画壇、特に独立美術の空気を送り込み、近代日本洋画の先駆者としてすばらしい画業を残してくれました。
野口弥太郎の作品は長崎市平野町にある「野口弥太郎美術館」で鑑賞することができます。
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野口 弥太郎 年表
- 1899年
- 10月1日、東京市本郷に父彌三、母信の長男として生まれる。
- 1911年
- 彌太郎の虚弱な体質を案じた父が弟の謙次郎と共に父の郷里の祖母のもとに転地させる。
- 1914年
- 関西学院中学部入学。同学の絵画部「弦月会」で活動する。
- 1920年
- 関西学院中学部を卒業、東京美術学校を受験するが失敗。
- 1922年
- 代々木にアトリエを新築。
- 1924年
- 第11回二科展に「少女と静物」「夏日夕景」「室内裸婦」の3点が入選し評判となる。
- 1926年
- 沢野菊枝と結婚。
- 1926年
- 「1930年協会」が結成され会員となる。
- 1929年
- 3月、野口弥太郎洋画展覧会(51点出品)を開催。
- 1930年
- サロン・ドートンヌに「二人女性像」「カーニュ・スル・メール風景」が入選。
- 1931年
- 二科会会友に推挙される。
- 1932年
- サロン・ドートンヌに「門」「巴里の眺」が入選。
- 1933年
- 二科会を脱会し独立美術協会会員となる。
- 1945年
- 5月、東京大空襲で代々木の家と油彩、水彩、素描等約500点が焼失する。
- 1960年
- 5月、再渡欧。パリ、レヌワール通りにアトリエを定める。
- 1964年
- 「国際形象展」が組織され、同人となる。
- 1972年
- 3月、紺綬褒章を受章する。
- 1973年
- 3月、第11回国際形象展出品の「那智の滝」により第23回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
- 1975年
- 4月、勲三等瑞宝章を授与される。12月、日本芸術院会員となる。
- 1976年
- 3月14日、アトリエで「カーニュの印象」を制作中倒れ入院、3月23日死去する(76歳)。
野口 弥太郎 代表作
- 「ベルクール広場」 (1931年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「フレンチカンカン」 (1932年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「自画像」 (1934年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「オランダ坂」 (1954年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「踏絵」 (1956年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「昆布とり」 (1958年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「裸婦二人」 (1961年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「長崎の風」 (1964年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「長崎の情緒」 (1965年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「長崎の屋根」 (1966年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「北海道」 (1968年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「長崎のおどり」 (1969年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「バリ島の踊子」 (1971年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「那智の滝」 (1972年) 野口弥太郎美術館所蔵
- 「アダムとエヴァ バリ島にて」 (1974年) 野口弥太郎美術館所蔵

野口 弥太郎「踏絵」(1956年)











