
岡本 太郎 Taro Okamoto

岡本 太郎(1911~1996)
(写真は「岡本太郎記念館」様より引用)
岡本太郎は川崎市に生まれた洋画家、芸術家です。
抽象絵画やシュルレアリスムとも関わり、縄文や沖縄の魅力に再注目した人物でもあります。
平面・立体作品を数多く残し、文筆活動も精力的に行きました。
後年はTVなどメディアへの露出も多いでした。
戦後日本で様々なジャンルを越境するような多面的表現活動をしてきました。
その活動の軌跡を「美術」という枠組みで捉えるのははなはだ難しいといえるでしょう。
しかし彼の様々な活動の始まりは絵を描くことからでした。
岡本太郎の作品は東京都港区にある「岡本太郎記念館」や、川崎市多摩区にある「川崎市岡本太郎美術館」などで鑑賞することができます。
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岡本 太郎 年表
- 1911年
- 現在の川崎市高津区二子に生まれる。
- 1917年
- 東京・青山の青南小学校に入学。
- 1918年
- 2回の転校ののち、東京・渋谷の慶應幼稚舎に入学。
- 1929年
- 慶應義塾普通部を卒業、東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科入学、半年後中退。
- 1936年
- 油彩「痛ましき腕」制作。
- 1940年
- パリ陥落に伴い帰国。
- 1942年
- 召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
- 1946年
- 復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
- 1947年
- 後に養女となる平野(旧姓)敏子と出会う。
- 1948年
- 花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
- 1952年
- 東京国立博物館で初めて縄文土器に触れ、衝撃を受ける。
- 1954年
- アトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立。
- 1955年
- ヘリコプターで銀座の夜空に光で絵を描く。
- 1956年
- 旧東京都庁舎(丹下健三設計)に「日の壁」「月の壁」など11の陶板レリーフを制作。
- 1957年
- 46歳にしてスキーを始める。
- 1959年
- 初めて沖縄に旅行する。
- 1961年
- 療養中に油彩「遊ぶ」、彫刻「あし」を制作。
- 1964年
- 東京オリンピックの参加メダルの表側をデザイン。
- 1965年
- 名古屋の久国寺に梵鐘「歓喜」制作。
- 1968年
- 初めての建築作品「マミ会館」が竣工。
- 1970年
- 大阪の日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作。
- 1973年
- 岡本太郎デザインの飛行船レインボー号が空を飛んだ。
- 1974年
- NHK放送センター・ロビーにレリーフ壁画「天に舞う」制作。
- 1976年
- ウィスキー・グラス製作。
- 1977年
- スペイン国立版画院に、日本人作家として初めて銅版画が収蔵される。
- 1978年
- テレビ番組「もう一つの旅」撮影のために訪れたマヨルカ島で、ショパンが使用したピアノを弾く。
- 1979年
- はじめての著作集が講談社から刊行される。
- 1981年
- 初めてコンピューターで絵を描く。
- 1984年
- フランス政府より芸術文化勲章を受ける。
- 1986年
- 福井県三方町で復元された縄文前期の丸木舟の進水式で舟長として舟を漕ぐ。
- 1988年
- ダスキンのCMに出演。
- 1989年
- フランス政府よりフランス芸術文化勲章を受章。
- 1991年
- 東京都庁舎移転のため、旧庁舎に設置されていた1956年作の陶板レリーフが取り壊される。
- 1992年
- 油彩「疾走する眼」制作。
- 1994年
- 三重県で開催される世界祝祭博覧会のシンボルモニュメント「であい」制作。
- 1996年
- 急性呼吸不全のため慶應義塾大学病院にて死去。
岡本 太郎 代表作
- 「敗惨の歎き」 (1925年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「傷ましき腕」 (1937年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「夜」 (1947年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「重工業」 (1949年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「赤い兎」 (1949年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「森の掟」 (1950年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「クリマ」 (1951年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「足場」 (1952年) 草月会所蔵
- 「燃える人」 (1955年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「縄文土器」 (1956年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「明日の神話」 (1968年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵
- 「横顔の少女」 (1992年) 川崎市岡本太郎美術館所蔵

岡本 太郎「森の掟」(1950年)













