
関根 正二 Shoji Sekine

関根 正二(1899〜1919)
関根正二は大正期の洋画家です。病のため、20歳という若さで夭逝しました。
個性的な画風で大正期を代表する画家として知られています。
少年時代の友人であった伊藤深水との交友は、彼が画家を志すきっかけとなりました。彼の勧めで日本画を描き始め、巽画会展に出品して初入選を果たし、更に洋画をも学び始めます。失恋などを経験し、作風はしだいに写実的な描写から内面的な深みを加えた表現へと移っていきます。
病に苦しみながらも、激動の生涯を駆け抜けた彼の作品はそう多く遺されてはいませんが、<その画風には大正期の洋画の若々しい個性が息づいています。
関根正二の作品は「大原美術館」などで鑑賞することができます。
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関根 正二 年表
- 1899年
- 福島県西白河郡大沼村に生まれる。
- 1906年
- 白河尋常高等小学校入学 2年生まで在籍 転居に伴い東京・深川区東川尋常小学校に転校。遊び友達に、のちの日本画家伊東深水がおり、関根が画家になる大きなきっかけになる。
- 1912年
- 錦常中学校入学。同中学校を中退。深水の紹介で印刷会社図案部に就職。
- 1913年
- 図案部の顧問に結城素明がおり、深水のすすめで日本画を描く。本郷洋画研究所に通う。
- 1914年
- 太平洋画研究所に入るが数ヶ月で辞める。
- 1915年
- 前田夕暮門下の歌人村岡黒影らと文芸同人雑誌「炎」を始める。第二回二科展「死を思う日」出品 入選。
- 1916年
- 第三回二科展 3点入選。
- 1917年
- 第四回二科展「長野近郊」入選。「少年」製作。「村岡みん像」屏風「天平美人図」を描く。「三星」「子供」の制作に入る。
- 1918年
- 久米正雄を知り、芝居の舞台出演や舞台画を描く。第五回二科展に「自画像」「姉妹」「信仰のかなしみ」出品 入選作「信仰のかなしみ」最高賞の樗牛賞を受ける。「文章世界」「太陽」等の雑誌に表紙や挿絵を描く。
- 1919年
- 「慰められつつ悩む」「自画像」「三星」「子供」制作。デッサン等多くを焼失。6月16日、満20歳2ケ月の短い生涯に幕を閉じる。
関根 正二 代表作
- 「死を思ふ日」 (1915年)
- 「少年」 (1917年)
- 「天平美人」 (1917年) 大阪市立近代美術館建設準備室蔵
- 「少女の顔」 (1918年)
- 「小共」 (1918年)
- 「姉 弟」 (1918年) 福島県立美術館蔵
- 「信仰の悲しみ」 (1918年)大原美術館蔵
- 「慰められつつ悩む」 (1919年)
- 「三星」 (1919年)
- 「子供」 (1919年)

関根 正二「姉 弟」(1918年)











