
速水 御舟 Gyosyu Hayami

速水 御舟(1894〜1935)
(写真は「台東区」様より引用)
速水御舟は明治27年、現在の柳橋一丁目あたりで生まれた日本画家です。幼いころより画才のあった少年は、13歳の時に、生家の向いにあった画塾に入門します。習ったのは徹底した古典模写。
15歳の御舟は、この作品で新人画家の登竜門であった巽画会に入選を果たします。御舟は画室を離れ、戸外にその場を求めていきました。西洋の印象派の画家たちのように。彼の絵筆は、自由を謳歌していくのです。
23歳にして日本美術院同人。絵の道を志して10年、三度の変貌を遂げて御舟は画壇の中枢へと登りつめるのです。ところが。悲劇が起きました。浅草の路面電車と衝突、奇跡的に一命はとりとめましたが、左足首から下を切断。御舟は、義足の生活を余儀なくされたのです。
昭和10年、腸チフスに罹り、御舟は40歳の生涯を閉じたのです。その突然の死を悼んで、安田靭彦は、『天、無情なり』と嘆きました。惜しまれる死というものは、その先にどんな未来があったのか。残されたものたちの想像力をかきたてる力があるものです。
速水御舟の作品の数々は兵庫県豊岡市出石町にある「速水御舟美術館」において見ることができます。
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速水 御舟 年表
- 1894年
- 蒔田良三郎の次男として東京市浅草区に生まれる。
- 1905年
- 市立育英小学校高等科へ入学。若い頃から画に興味を持つ。
- 1908年
- 卒業。松本楓湖の安雅堂画塾に入門。宋元古画、大和絵、俵屋宗達・尾形光琳などの粉本を模写する一方、同門の仲間で団栗会を結成。近郊を写生散歩して回った。
- 1909年
- 師である楓湖から禾湖(かこ)の号を頂く。母方の祖母である速水キクの養子となる。
- 1910年
- 巽画会展に『小春』烏合会展に『楽人』を蒔田禾湖の名で出品。これが初めての展覧会出品となる。
- 1911年
- 巽画会展に『室寿の讌(むろほぎのうたげ)』を出品。一等褒状となり宮内省買い上げの栄誉を受ける。同門の今村紫紅に従い紅児会に入会。その後、速水は今村から多大な影響を受けた。
- 1912年
- 号を自ら浩然(こうねん)と改める。
- 1913年
- 紅児会が解散する。その後、再興日本美術院展(院展)に活躍の場を移す。
- 1914年
- 号を御舟と改め、この頃から姓を速水とする。今村紫紅を中心とした美術団体、赤曜会を結成。
- 1916年
- 紫紅が死去するまで活動を続ける。
- 1917年
- 第4回院展に「洛外六題」を出品。横山大観・下村観山らに激賞され、川端龍子と共に日本美術院の同人に推挙された。
- 1919年
- 浅草駒形で市電に轢かれ、左足切断の災禍に見舞われる。しかし、御舟の画に対する熱意には全く影響せず、その後も精力的に活動を続けた。
- 1921年
- 結婚。
- 1925年
- 軽井沢に滞在中、代表作の一つである『炎舞』を完成させる。
- 1929年
- 第16回院展に「名樹散椿」を出品。
- 1935年
- 3月20日享年40。腸チフスで急逝。その死は多くの日本の美術関係者に惜しまれた。
速水 御舟 代表作
- 「浅春」 (1918年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「秋茄子と黒茶碗」 (1921年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「茶碗と果実」 (1921年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「ひよこ」 (1924年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「門(名主の家)」 (1924年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「炎舞」 (1925年) 山種美術館蔵、重要文化財
- 「名樹散椿」 (1929年) 山種美術館蔵、重要文化財
- 「夜梅」 (1930年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「暁に開く花」 (1934年) 東京国立近代美術館所蔵

速水 御舟「炎舞」(1925年)











