
菊池 容斎 Yosai Kikuchi
菊池 容斎(1788〜1878)
(写真は「Wikipedia」様より引用)
菊池容斎は幕府西丸の御徒・河原専蔵武吉の次男として、江戸は下谷長者町で生まれた日本画家です。父は菊池家から養子に来た人であったが、系図によると南朝遺臣の菊池肥後守武時の後裔であるということです。
15歳の時に早世した兄に代わって河原家を嗣いでいたが、28歳の時に父の生家が断絶し、量平はこの名家が廃されるのを惜しみ、妹に婿養子を迎えて河原家を嗣がせたのち38歳で致仕し、菊池武長の後を継いで菊池家を再興しました。
菊池武保と名乗るのはそれからである。「容斎」という号は、厳格さのあまり他人を容赦しない自分の性質を戒めるためにつけました。
幼いときから絵を描くのが好きだったが、画を学ぶことを父から許されませんでした。16歳の時に描いた両親の肖像画を見て初めてその伎倆を認められ、許しが出ました。文化2年から高田円乗に師事し、狩野派や南蘋風の絵を学びます。円乗の死後は師につかず、その教えを守り流派にこだわらずにその長所をとることに努めました。
生活は楽ではなかったが、画を認めてくれた旗本・久貝因幡守の財政援助を得て「阿房宮兵燹の図」「呂后人X_を作る図」などの大作を描きました。学問上の知己として羽倉簡堂がいます。
菊池容斎の作品の数々は東京都台東区にある「東京藝術大学大学美術館」において見ることができます。
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菊池 容斎 年表
- 1788年
- 幕府西丸の御徒・河原専蔵武吉の次男として、江戸は下谷長者町で生まれた。
- 1803年
- 早世した兄に代わって河原家を嗣い。
- 1816年
- 父の生家が断絶。
- 1925年
- 『前賢故実』の著作に取りかかり。
- 1826年
- 致仕し、菊池家を再興した。
- 1836年
- 『前賢故実』完成させた。
- 1868年
- 9月に刊行。明治天皇が東京に遷るときにあたって、推薦する人があって右大臣・三条実美と左中将・東久世通禧によって天皇の目にとまり、容斎に対して「日本画師」の号を賜られた。
- 1874年
- 「土佐日記絵巻」2巻を描く。
- 1877年
- 内国勧業博覧会に出品、最高の竜紋褒賞を授与された。
- 1878年
- 6月16日91才で没した。太政大臣三条実実による碑が建つ。
菊池 容斎 代表作
- 「海野北窓像」 (1824年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「海野遊翁像」 (1849年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「和歌」 (19世紀) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「築地本願寺梵鐘天人像」 (1869年) 東京藝術大学大学美術館所蔵

菊池 容斎「海野北窓像」(1924年)











