
尾形 月耕 Gekou Ogata

尾形 月耕(1859~1920)
尾形月耕は名鏡清二郎の子として江戸京橋弥左衛門町に生まれた日本画家です。本名正之助、別号名鏡斎、華暁楼です。
数え17歳で父を失い京橋弓町で提灯屋を営む一方、吉原遊廓の絵びら、人力車の蒔絵、輸出向けの陶画などを描いて画技を磨き、錦絵“征韓論”や『絵入朝野新聞』などの挿絵を手掛けて評判となりました。
明治24年に日本青年絵画協会の結成に参加、審査員となり、同会改組の日本絵画協会展、日本美術院との連合絵画共進会も含め、一等褒状や銀杯、銅牌を重ねました。
明治31年の日本美術協会の『曽我夜討』は明治天皇の御買上、海外の万国博覧会にも積極的に参加し、明治26年のシカゴ・コロンブス万国博の『江戸山王祭』をはじめ、明治33年のパリ、明治37年のセントルイス、明治43年の日英博覧会に出品しました。
大正元年には第6回文展に53歳で初出品し、話題となる。大正9年10月1日、牛込新小川町の邸にてなくなりました。
尾形月耕の作品の数々は東京都台東区にある「東京藝術大学大学美術館」において見ることができます。
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尾形 月耕 年表
- 1859年
- 10月10日名鏡清二郎の子として江戸京橋弥左衛門町に生まれる。
- 1876年
- 父を失い京橋弓町で提灯屋を営む吉原遊廓の絵びら、人力車の蒔絵、輸出向けの陶画などを描いて画技を磨き、錦絵“征韓論”や『絵入朝野新聞』などの挿絵を手掛けて評判となる。
- 1888年
- 弟子の田井喜久と再婚、田井姓となる。
- 1891年
- 日本青年絵画協会の結成に参加、審査員。同会改組の日本絵画協会展、日本美術院との連合絵画共進会も含め、一等褒状や銀杯、銅牌を重ねた。
- 1893年
- シカゴ・コロンブス万国博の『江戸山王祭』 シカゴ・コロンブス万国博の『江戸山王祭』。
- 1898年
- 日本美術協会『曽我夜討』は明治天皇の御買上。海外の万国博覧会にも積極的に参加。
- 1900年
- パリ(銅牌)。
- 1904年
- セントルイス。
- 1910年
- 日英博覧会に出品。
- 1912年
- 第6回文展に53歳で初出品(三等賞)話題となる。
- 1920年
- 62歳で没した。
尾形 月耕 代表作
- 「憲法発布祭」 (1895年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「演劇見物」 (1879年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「釣人」 (1897年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「奥沢九品仏来迎」 (1911年) 東京藝術大学大学美術館所蔵

尾形 月耕「釣人」(1897年)













