
大橋 翠石 Suiseki Oohasi
大橋 翠石(1865~1945)
(写真は「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」様より引用)
大橋翠石は岐阜県大垣市出身の明治から昭和にかけて活躍した日本画家です。虎の翠石と言われ、翠石の描いた虎画は本物の虎がまるで生きているかのような躍動感が感じられます。
千里一走によると、翠石の作品に見せられた人は驚嘆して「円山応挙ハ虎皮ヲ写シ、岸駒は虎頭ヲ写ス、翠石ノ斯ノ画ニ於ケル、遥ニ、二者ニ超越シテ、全身ノ活現毫モ間然スル所ナシ、ソノ手法ノ非凡ナル、古人亦遠ク逮ハス」と激賞したといいます。
緻密な毛書きが施された虎画は明治33年にパリ万国博覧会で絶賛され優勝金牌を受賞し、続いてセントルイス万国博覧会、日英博覧会など国際博覧会で連続優勝金牌を受賞しました。
また金子堅太郎(子爵)が大橋翠石の後見人となり彼の作品を先の国際博覧会へ出展させたり宮中へ納めるために尽力しました。その結果明治天皇や皇后、朝鮮の李王家などに絵を献上しました。
大正元年に郷土岐阜県大垣市から神戸市須磨に移住し、翠石の画業の中心は神戸市へと移りました。この神戸で背景が日本画的に描かれた様式を完成させました。本名は大橋卯三郎で、通称として宇一郎が用いられました。
大橋翠石の作品の数々は岐阜県にある「岐阜県美術館」において見ることができます。
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大橋 翠石 年表
- 1865年
- 岐阜県生まれ。名は宇一郎。
- 1895年
- 4月 31才の時 第3回全国博覧会に初出品した。11月 京都青年絵画共進会に出品(2等賞)。
- 1896年
- 5月 大阪私立絵画共進会には「月下の虎図」を出品して3等銅賞を獲得した。
- 1897年
- 5月 京都第1回全国絵画共進会に出品 4等、東京美術協会展に出品 2等。
- 1898年
- 日本美術画会出品、東京美術協会展出品。
- 1899年
- 大阪南画展覧会 2等、愛知全国絵画共進会に出品。
- 1900年
- パリ万国博覧会で優勝金牌を受賞。
- 1901年
- 宮内庁御用品となる。
- 1903年
- 農商務省主催第5回内国勧業博覧会 2等。
- 1904年
- アメリカセントルイス万国博覧会 優勝金牌を受賞。
- 1907年
- 東京府勧業博覧会に獅子図を出品する。
- 1910年
- 日英博覧会 金牌。
- 1913年
- 宮中に虎図を納入し350円下賜。
- 1918年
- 大垣新町の軸の見送りに最初の虎画を描く(軸とは大垣祭は、岐阜県大垣市にある大垣八幡神社で行われる祭りで使われる山車)。
- 1924年
- 大垣新町の軸の見送りに極彩色の虎画を描く。
- 1925年
- 名古屋美術倶楽部で翠石新作画展開催される。
- 1926年
- 名古屋松坂屋で大橋翠石絵画展覧会を開催する。
- 1927年
- 東京上野日本美術協会で翠石百幅展が開催する 発起人 東郷平八郎、金子堅太郎、団琢磨。
- 1945年
- 80歳のとき逝去。
大橋 翠石 代表作
- 「月下の虎図」 (1895年)
- 「獅子図」 (1907年)
- 「金魚の図」 (1988年)
- 「猛虎の図」 (年)
- 「猛虎の図」 (1945年)

大橋 翠石「猛虎の図」(1945年)











