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尾竹 竹坡 Chikuha Otake

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尾竹 竹坡(1878〜1936)

尾竹竹坡は明治11年9月越後新潟に生れた洋日本画家です。本名は尾竹染吉です。

越堂の弟であり、国観の兄でもあります。初め画を南宋派の雲石に学びます、竹坡の雅号を受けます。その後、上京して川端玉章、小堀鞆音の門に学びます。
大正2年の第7回文展には兄弟そろって落選しました。この落選が美術行政制度にあるとして大正4年には衆議院議員に立候補するも落選、多額の負債を背負い、濫作で自ら画名を落としていきます。
大正末には未来派に接近、前衛グループ八火会を結成するなど再起を試みるも、昭和11年6月2日になくなりました。行年は58歳でした。

2007年2月25日号の美術誌『Bien(美庵)』Vol.43(藝術出版社)の巻頭特集「きみは、尾竹三兄弟を知っているか?』にて、尾竹三兄弟の次兄として紹介されるや、国際浮世絵学会の機関誌、
三兄弟の地元の『新潟日報』や『北日本新聞』でも『Bien(美庵)』の特集を評価、全国に潜在していたファン、コレクター、研究家、美術館、骨董商から熱いエールと全国規模の回顧展を望む声が上がり、盛り上がりを見せています。

尾竹竹坡の作品の数々は東京都にある「東京国立近代美術館」において見ることができます。

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尾竹 竹坡 年表

 
1878年
1月12日新潟市に生まれる。4才で南宋派の笹田雲石に師事する。弟国観の師小堀鞆音や梶田半古にも大和絵を学ぶ。
1891年
富山に移り、兄国一(越堂)とともに生活のために売薬版画の下絵や新聞挿画を描く。弟国観が『小国民』の全国児童画の一等賞を得たことを縁に富山から同誌に挿絵を送るようになる。
1895年
上京して川端玉章に入門。弟国観の師小堀鞆音や梶田半古にも大和絵を学ぶ。日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会等で受賞を重ね、人気が高まる。
1904年
国画会で戦争展覧会を開いて盛況。
1905年
若手作家を糾合して大同画会を発足させ、国画玉成会へ合流。
1907年
第1回文展に入選。
1908年
岡倉天心と衝突して国画玉成会を弟の国観とともに退会。
1909年
第3回文展で『茸狩』が三等賞。
1910年
第4回文展『おとづれ』2等賞。
1911年
『水』が二等賞と注目を浴びるが、台頭してきた学校派との根強い対立。
1936年
6月2日歿(58歳)。

尾竹 竹坡 代表作

「おとづれ」 (1910年) 東京国立近代美術館所蔵
「芦に小禽」 (年) 個人所蔵
尾竹 竹坡
尾竹 竹坡「芦に小禽」(年)

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