
下村 観山 Kanzan Simomura
下村 観山(1873~1930)
(写真は「Wikipedia」様より引用)
下村観山は和歌山県和歌山市に生まれた日本画家です。8歳のとき東京へ移住します。
最初狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事します。
東京美術学校(現・東京藝術大学)を第一期生として卒業後、同校で教えていたが、岡倉天心が野に下ったときに行動を共にし、横山大観、菱田春草とともに日本美術院の創設に参加しました。
近代日本画の草創期の画家達の中で観山は、様式上の革新や冷静な理知的個性を作品に積極的に導入した大観や春草とは、対照的な存在でありました。
すなわち観山の作品には、卓抜した技法と徹底した古典研究に裏打ちされた作品が多いです。そのため従来、観山の穏健で復古的な性格が、前二者との比較の中で消極的な解釈をうけてきました。
下村観山の作品の数々は静岡県静岡市駿河区にある「静岡県立美術館」において見ることができます。
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下村 観山 年表
- 1873年
- 代々紀州徳川家お抱えの幸流の能楽師、下村豊次郎の三男、和歌山県和歌山市に生まれる。本名晴三郎。
- 1882年
- 藤島常興・狩野芳崖に師事。芳崖の紹介で橋本雅邦に入門。巨勢小石から大和絵をまなぶ。
- 1889年
- 東京美術学校第1期生として入学。同期に横山大観、西郷孤月。
- 1894年
- 東京美術学校を卒業し21歳で助教授となる。
- 1898年
- 同校騒動で校長岡倉天心の辞任にともない連快辞職。日本美術院創立に参加。絵画共進会に毎回力作発表。
- 1901年
- 寺崎広業と共に美術院正員のまま東京美術学校教授に復帰。
- 1906年
- 大観らと茨城県五浦に移転。
- 1907年
- 日本美術院、紅児会等による国画玉成会結成に参加、評議員。
- 1912年
- 上京。
- 1914年
- 審査員を退き、大観と日本美術院を再興。
- 1917年
- 帝室技芸員。
- 1922年
- フランスサロン準会員。
- 1928年
- 多年にわたる日仏両国の美術交流への貢献により仏政府より、コマンドール・カムボージュ勲章受章。
- 1930年
- 歿、58才。
下村 観山 代表作
- 「光明皇后」 (1897年) 宮内庁三の丸尚蔵館所蔵
- 「修羅道」 (1900年) 東京国立博物館所蔵
- 「鵜鴎図」 (1901年) 滋賀県立近代美術館所蔵
- 「ダイオゼニス」 (1903年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「木の間の秋」 (1907年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「大原御幸」 (1908年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「鵜図屏風」 (1912年) 東京国立博物館所蔵
- 「白狐(びゃっこ)」 (1914年) 東京国立博物館所蔵
- 「弱法師(よろぼうし)」 (1915年) 東京国立博物館所蔵、重要文化財
- 「春雨」 (1916年) 東京国立博物館所蔵
- 「楠公」 (1921年) 東京国立博物館所蔵
- 「景雲餘彩」 (1922年) 宮内庁三の丸尚蔵館所蔵

下村 観山「ダイオゼニス」(1903年)












