
谷 文晁 Buntyou Tani

谷 文晁(1763〜1841)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
谷文晁は江戸下谷根岸に生まれた日本画家です。
江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられます。
名は正安。はじめ号は文朝・師陵、後に文晁とし字も兼ねました。
通称は文五郎または直右衛門。別号には写山楼・画学斎・ 無二・一恕。薙髪して法眼位に叙されてからは文阿弥と号しました。
画塾写山楼を構え、渡辺崋山・立原杏所など多くの門人を擁した。弟子に対して常に写生と古画の模写の大切さを説き、沈南蘋の模写を中心に講義が行われました。
しかし、狩野派のような粉本主義・形式主義に陥ることなく弟子の個性や主体性を尊重する教育姿勢でした。
弟子思いの師として有名であるが、権威主義的であるとの批判も残されます。
亀田鵬斎、酒井抱一とは「下谷の三幅対」と評され、享楽に耽り遊びに興じたが最期まで矍鑠として筆をふるりました。
谷文晁の作品の数々は東京都台東区にある「東京藝術大学大学美術館」において見ることができます。
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谷 文晁 年表
- 1763年
- 神奈川県に生まれる。
- 1775年
- 父の友人で狩野派の加藤文麗に学び。
- 1781年
- 中山高陽の弟子 渡辺玄対に師事した。
- 1783年
- 文麗が歿したので北山寒巌 につき北宗画を修めた。
- 1789年
- 長崎旅行を企て、 大坂の木村兼葭堂に立ち寄り。
- 1793年
- 田安宗武の子で白河藩主松平定邦の養子となった松平定信に認められ。
- 1812年
- 定信付として仕えた。
- 1830年
- 御絵師の待遇を得て剃髪した。
- 1838年
- 法眼位に叙され文阿弥と号する。
- 1841年
- 歿。享年79。
谷 文晁 代表作
- 「公余探勝図」 (1793年) 重要文化財・東京国立博物館所蔵
- 「浅〓山水図」 (1799年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「木村蒹葭堂像」 (1802年) 重要文化財・大阪市立美術館所蔵
- 「八仙人図」 (1802年) 静嘉堂文庫美術館所蔵
- 「石図」 (1814年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「彦山真景図」 (1815年) 東京国立博物館所蔵
- 「鳩図」 (年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「墨田川図」 (年) 東京藝術大学大学美術館所蔵
- 「吉野・龍田」 (年) 東京藝術大学大学美術館所蔵

谷 文晁「公余探勝図」(1793年)











