
鏑木 清方 Kyokata Kaburaki

鏑木 清方(1878〜1972)
(写真は「Wikipedia」様より引用)
鏑木清方は明治11年、東京神田に生まれた日本画家です。幼い頃から文芸に親しんで育ち、その画業のはじまりは挿絵画家からでした。
のちに肉筆画に向い、清らかで優美な女性の姿や、いきいきとした庶民生活、肖像、愛読した樋口一葉や泉鏡花などの文学を主な題材として描かれた作品は、市井の人々への共感や慈愛のまなざしが感じられます。
清方は晩年、自らの境地を「市民の風懐(ふうかい)にあそぶ」と称して、庶民生活を題材にした作品を多く手がけました。情趣あふれる日本画作品、また典雅な文体による随筆を多く残しています。
挿絵画家出身で、浮世絵の流れもくむ清方の画風は、全体の画面構成などには浮世絵風の古風なところもあるが、人物の容貌だけでなく内面の心理まで描き尽くす描写には高い技量と近代性、芸術性が見られます。
鏑木清方の作品の数々は神奈川県鎌倉市にある「鎌倉市鏑木清方記念美術館」において見ることができます。
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鏑木 清方 年表
- 1878年
- 東京・神田に生まれた。
- 1891年
- 満13歳、浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。翌年には日本中学をやめ、画業に専心している。16歳ころから清方の父親が経営していた「やまと新聞」に挿絵を描き始め、十代にしてすでにプロの挿絵画家として活躍していた。
- 1893年
- 年方より「清方」の雅号を授かる。
- 1897年
- 第2回日本絵画協会共進会に《ひなた》を出品。「紫紅会」を結成。
- 1900年
- 第8回日本絵画協会・第3回日本美術院連合絵画共進会に《暮れゆく沼》を出品。
- 1901年
- 梶田半古の研究会に出席し、前田青邨、小林古径を知る。「烏合会」を結成。「本絵」(挿絵)の制作に本格的に取り組みはじめ、烏合会の展覧会がおもな発表場所となる。
- 1902年
- 第5回烏合会展に《一葉女史の墓》を出品。
- 1903年
- 都築照と結婚。木挽町の自宅を「紫陽花舎」と名づける。少年期から樋口一葉を愛読した清方は、一葉の肖像や、一葉作品をモチーフにした作品をいくつか残している。
- 1909年
- 第3回文展に《鏡》を出品、初入選で褒状を受賞。
- 1910年
- 日英博覧会《酒中花》銅賞受賞。
- 1914年
- 第8回文展《墨田河舟遊》二等賞受賞。
- 1915年
- 第9回文展《霽れゆく村雨》二等賞首席となる。
- 1916年
- 吉川霊華・平福百穂らと金鈴会を結成。清方は会派・党派的活動には関心があまりなかったようだ。
- 1917年
- 第11回文展に《黒髪》を出品、特選第一席となる。
- 1927年
- 第2回帝展に出品した代表作『築地明石町』は帝国美術院賞を受賞。
- 1930年
- 重要文化財指定の『三遊亭円朝像』は、清方には珍しい壮年男性の肖像であるが、代表作の一つに数えられている。
- 1932年
- 聖徳記念絵画館の壁画《初雁の御歌》を制作。
- 1935年
- 日本橋三越で個展「明治風俗」を開催。
- 1937年
- 帝国芸術院会員となる。
- 1940年
- 紀元二千六百年奉祝展に《一葉》を出品。
- 1941年
- 『こしかたの記』『四季しのぶ草』『風俗画技法』を刊行。
- 1944年
- 帝室技芸員に任命される。
- 1945年
- 矢来町の自宅、戦火により焼失。
- 1948年
- 第4回日展に《朝夕安居》を出品。
- 1954年
- 文化勲章を受章。
- 1972年
- 93歳で没した。晩年を過ごした鎌倉市雪ノ下の自宅跡には鎌倉市鏑木清方記念美術館が建てられている。
鏑木 清方 代表作
- 「一葉女史の墓」 (1902年) 鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵
- 「墨田河舟遊」 (1914年) 東京国立近代美術館
- 「朝涼(あさすず)」 (1925年) 鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵
- 「築地明石町」 (1927年) 個人所蔵
- 「三遊亭円朝像」 (1930年) 重要文化財、東京国立近代美術館所蔵
- 「初冬の花」 (1935年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「砧」 (1935〜1945年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「鰯」 (1937年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「一葉」 (1940年) 東京藝術大学所蔵
- 「たけくらべの美登利」 (1940年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「初東風」 (1942年) 東京国立近代美術館所蔵

鏑木 清方「三遊亭円朝像」(1930年)











