
武者小路 実篤Saneatsu Musyakoji

武者小路 実篤(1885〜1976)
(写真は「ウィキペディア」様より引用)
武者小路実篤は現東京都に生まれた日本画家、小説家です。
姓の武者小路は元来むしゃのこうじと読むが、実篤自身はむしゃこうじと名乗っていました。
しかし、むしゃのこうじを誤りだと糺すことはなかったといいます。
仲間からは「武者」という愛称で呼ばれた。位階は従三位。文化勲章受章。授与された称号には名誉都民などがある。日本芸術院会員。
実篤は、白樺派の思想代名詞的存在であり、理想主義・空想社会主義的行動(前述の村建設など)が現実離れしているとして揶揄の対象とする人もいました。
また、上流階級の子弟にありがちな気紛れで無責任とも取れる言動(自ら提唱した新しき村を僅か6年で離村している)も批判された事もあります。
一般的には、確固たる思想的裏付けが無く、近視眼的な理想主義・現実離れな言動で、軽率であるとの懐疑的な見方が多い。全集は小学館より全18巻で刊行されています
武者小路実篤の作品の数々は東京都調布市若葉町の「武者小路実篤記念館」において見ることができます。
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武者小路 実篤 年表
- 1885年
- 東京市麹町区元園町1-38に生まれる。
- 1887年
- 父・実世死去、享年35歳。
- 1891年
- 学習院初等学科入学。
- 1895年
- この年より、三浦半島金田に移住した叔父・勘解由小路(かでのこうじ)資承(すけこと)のもとに、毎年夏訪れる。
- 1902年
- 志賀直哉と同級になり、親しくなる。
- 1903年
- 学習院高等学科に進む。
- 1904年
- 短編「初恋」のお貞さんが帰郷、うちあけぬままの失恋が文学へ傾斜させる。
- 1906年
- 学習院高等学科を卒業、9月 東京帝国大学文科大学哲学科社会学専修に入学。
- 1907年
- 美術への関心も深める。
- 1908年
- 処女作品集『荒野』を自費出版。
- 1910年
- 志賀直哉、有島武郎、有島生馬、、柳宗悦らと『白樺』を創刊。
- 1911年
- 岸田劉生が訪問、交友が始まる。
- 1913年
- 竹尾房子と結婚。
- 1914年
- 生家を出て、麹町区下二番町58に家を借りる。
- 1915年
- 戯曲「その妹」を『白樺』に発表。
- 1916年
- 我孫子(東葛飾郡富勢村根戸字船戸1090)に転居。
- 1917年
- 『白樺』10月号で日本最初の西洋近代美術の美術館設立を提唱。
- 1918年
- 雑誌『新しき村』を創刊。
- 1919年
- 農作業、建築の手伝い、資材の運搬などの仕事を村の青年たちとともに分担した。
- 1921年
- 「白樺美術館第一回展覧会」を開催。
- 1922年
- この年、房子と離婚。
- 1923年
- 熱心に絵(鉛筆素描、墨画淡彩)描き始める。
- 1925年
- 次女・妙子誕生。
- 1926年
- 戯曲「愛慾」を『改造』に発表。
- 1927年
- “最初にかいた油絵”と記す「南瓜」を描く。
- 1929年
- 最初の個展を日本橋・丸善で開催。
- 1936年
- 各地で美術館と画家を歴訪。
- 1946年
- 公職追放令G項該当者に指名され、貴族院議員、芸術院会員を辞任。
- 1949年
- 「武者小路実篤個展」を日本橋・壷中居で開催。
- 1951年
- 文化勲章を受章。
- 1962年
- 「大調和展」の復活第一回展を上野・東京都美術館で開催。
- 1963年
- 実篤原作のNHK連続テレビ小説「あかつき」が1年間、放映。
- 1965年
- 東京都より名誉都民称号を贈られる。
- 1967年
- 小説「一人の男」を『新潮』に45回連載。
- 1976年
- 死去、享年90歳。
武者小路 実篤 代表作
- 「この道」 (年) 武者小路実篤記念館所蔵
- 「勉強勉強」 (年) 武者小路実篤記念館所蔵
- 「果実」 (年) 個人所蔵
- 「蓮根と山葵」 (年) 個人所蔵
- 「南瓜図」 (年) 個人所蔵
- 「観音」 (年) 東京藝術大学大学美術館所蔵

武者小路 実篤「観音」(年)











