
土田 麦僊 Bakusen Tsuchida

土田 麦僊(1887〜1936)
(写真は「足立美術館」様より引用)
土田麦僊は大正から昭和にかけて、京都の日本画をリードした男です。麦僊といえば舞妓とも言われ、代表作「舞妓林泉」は切手にもなっています。
麦僊は16歳の時、破門覚悟で寺を飛び出し、京都の画塾で絵を学び始めました。病で一時帰郷し、17歳で再び京都に出てきた彼は竹内栖鳳(せいほう)の門下になります。麦僊が画家になったのは、「日本画」というジャンルが生まれた明治時代。それまで日本画という言葉はなく、日本には日本古来の絵画がありました。
日本画に学んだ作品は、人々の注目を集めました。しかし麦僊には、物まねではなく芸術の本質を見極めたいという迷いがありました。京都画壇は、若きリーダーとして麦僊に大きな期待をかけます。それは喜びであり、大きな重圧でもありました。
新しい日本画を生み出すために、麦僊はヨーロッパに向かいます。フランス、イタリアを旅しながら、彼は日本画や日本画という枠を捨て去っていきます。そしてイタリアに残るルネサンスのフレスコ画に出会いました。麦僊はフレスコ画に、素朴な美しい線を見ました。線こそが絵画の原点だと確信します。
画面奥の平面的な里から広がる遠近法の風景、手前には平面描写の大原女と木々。不思議な感覚を覚える絵です。これが、麦僊が獲得した西洋と日本の融合、新しい日本画でした。
土田麦僊の作品の数々は島根県安来市古川町にある「足立美術館」において見ることができます。
土田麦僊の絵画・日本画・掛軸買取は古美術八光堂にお任せください。全国どこへでも出張買取いたします。
土田 麦僊 年表
- 1887年
- 2月9日新潟県佐渡郡新穂村に生まれる。
- 1903年
- 京都・智積院に入るが画家を志し出奔。鈴木松年に入門を請い その息子松僊の教えを受けることとなり「松岳」の号を受ける。
- 1904年
- 竹内栖鳳に弟子入り。「麦僊」の号を受ける。
- 1905年
- 第10回新古美術品展に《清暑》を出品、四等賞三席を得る。
- 1908年
- 第2回文展に《罰》を出品、三等賞受賞。
- 1909年
- 京都市立絵画専門学校が開校し、その別科に入学する。
- 1910年
- 梅原龍三郎とパリに学んで先に帰国した、のちの美術史家田中喜作を中心とする懇談会「黒猫会(ル・シャノワール)」結成に参加する。
- 1911年
- 京都市立絵画専門学校を卒業。同年には小野竹喬らとともに前衛的な絵画運動の会である仮面会(ル・マスク)を結成。黒猫会に参加。
- 1912年
- 第2回仮面会展を開く。京都を離れた会員が多く、会は自然消滅する。第6回文展に《島の女》を出品、文部省に買い上げられる。
- 1915年
- 第9回文展に《大原女》を出品。三等賞を受ける。
- 1918年
- 麦僊は同じ京都市立絵画専門学校出身の同士であった村上華岳・榊原紫峰・小野竹喬・野長瀬晩花とともに国画創作協会を旗揚げした。同会は伝統的な文展の審査のありかたに不満をもった若手日本画家たちが西洋美術と東洋美術の融合と、新しい日本画の創造を目指して結成したもので近代における日本画革新運動の代表的なものとして、日本美術史上重視されている。国画創作協会 第1回展。
- 1921年
- 国展を前年の第3回展をもって休会し、パリ留学の経験のある日本画家黒田重太郎を先導役に小野竹喬・野長瀬晩花とともにパリに行く。
- 1922年
- イタリア、スペイン、イギリス(ロンドン)等を旅行。ヴェトイユで風景画の研究を行い、晩秋、パリに戻って人物画の研究を行う。
- 1923年
- 5月、パリから帰国。
- 1924年
- 第4回国展に《舞妓林泉図》《蔬菜》などを出品。
- 1925年
- 梅原龍三郎を迎えて国展に日本画部を設ける。
- 1927年
- フランス政府よりレジオン・ド・ヌール・シュバリエ勲章受章。
- 1928年
- 国画創作協会 東京および京都で計7回の展覧会を開催。のち、国画創作協会日本画部は解散する。第1回展に出品した『湯女図』(ゆなず)をはじめとして、毎回意欲作を出品し、国画創作協会の中心的存在であった。ルノワールやゴーギャンに傾倒し、伝統的な日本画に西洋絵画の重厚なマチエールや合理的な空間把握、幾何学的な構図などを取り入れた、新たな絵画の創造を目指していた。
- 1929年
- 第10回帝展に《罌栗》を出品、宮内庁に買い上げられる。
- 1933年
- 朝鮮に渡り、ソウルに滞在して古美術を見学し、《平牀》の取材。
- 1934年
- 改組帝国美術院の会員に任命される。
- 1936年
- 6月10日膵臓癌のため死去。
土田 麦僊 代表作
- 「罰」 (1908年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「島の女」 (1912年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「海女」 (1913年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「湯女」 (1918年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「舞妓林泉」 (1924年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「鮭」 (1924年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「鶉」 (1926年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「大原女」 (1927年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「鴛鴦図」 (1929年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「黄蜀葵(おうしょっき)」 (1932年) 足立美術館所蔵
- 「女子騎馬人形写生」 (年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「仏画模写」 (年) 京都国立近代美術館所蔵

土田 麦僊「黄蜀葵(おうしょっき)」(1932年)











