
横山 大観 Taikan Yokoyama

横山 大観(1868〜1958)
(写真は「横山大観記念館」様より引用)
横山大観は1868年生まれた日本画家。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる線描を抑えた独特の没線描法を確立しました。
帝国美術院会員、第一回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈されました。茨城県名誉県民、東京都台東区名誉区民、受章するなど日本画界に多大な足跡を残しました。
永年に渡る日本美術発展への貢献により正三位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を贈られました。
また彼の脳は、現在もアルコール漬けにされた状態で東京大学医学部に保管されています。
横山大観の作品の数々は東京都台東区にある「横山大観記念館」において見ることができます。
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横山 大観 年表
- 1868年
- 9月18日 旧水戸藩藩士・酒井捨彦の長男として生まれる。 命名:酒井秀麿として誕生。
- 1878年
- 一家で上京。
- 1881年
- 東京府中学に入学。優秀な成績で卒業するが諸事情により東大予備門試験で入学資格を消失。東京英語学校入学。受験英語に勤しみ、その後の大観の海外生活で大きな力を発揮する。
- 1883年
- 絵画に興味をいだいた大観は、渡辺文三郎という画家に師事した。
- 1888年
- 秀麿が20歳の頃、東京美術学校入学試験を受験。横山家との養子縁組により、酒井秀麿から横山秀麿となった。
- 1889年
- 東京美術学校一期生として入学。岡倉天心・橋本雅邦に学ぶ。同期生:菱田春草・下村観山。
- 1893年
- 東京美術学校卒業。京都で古画の模写の仕事に励む。
- 1895年
- 京都市立美術工芸学校教諭。京都修行時代と推定し、雅号を「大観」。
- 1896年
- 東京美術学校助教授に就任。
- 1897年
- 滝沢文子と結婚。
- 1898年
- 岡倉天心、東京美術学校を辞任。橋本雅法・大観ら14人が辞職。岡倉天心、日本美術院を設立。観山・広業・春草・武山等々がこれにしたがって、私財を投入して設立運営に奔走する。
- 1903年
- 妻死亡。インド訪問。釈迦の実像を描こうとした。
- 1904年
- 岡倉天心の勧めでニューヨークへ。
- 1905年
- イギリスのロンドンへ。長女死亡のため帰国。
- 1906年
- 遠藤直子と再婚。岡倉天心が住んでいた茨城県の五浦へ転居。五浦での活動。「日本美術院絵画部」は天心・大観・春草・観山・武山の五名。
- 1907年
- 父死亡。国が主催となって、官営の「文展」(文部省美術展覧会)が開催。大観・観山は文展の審査員。
- 1910年
- 中国へ出発。ロバを買って帰る。第四回文展。審査員。作品「楚水の巻」。
- 1912年
- 明治天皇崩御。第六回文展。
- 1913年
- 妻、直子が死す。第七回文展。最後の審査員。作品「松並木」。9月、岡倉天心逝去。門人代表の弔辞。
- 1935年
- 帝国美術院会員。
- 1936年
- 狩野派の指導をえた。狩野芳崖にも影響される。
- 1937年
- 第一回文化勲章の受章者。
- 1938年
- アドルフ・ヒトラーに献呈するため作品「旭日霊峰」完成。
- 1958年
- 89歳死去。
横山 大観 代表作
- 「風雨」 (1892年) 横山大観記念館所蔵
- 「あやめ」 (1901年) 横山大観記念館所蔵
- 「入船・帰路」 (1902年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「山路」 (1911年) 京都国立近代美術館所蔵
- 「観音」 (1912年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「暮色」 (1922年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「生々流転」 (1923年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「東山」 (1924年)< 東京国立近代美術館所蔵/dt>
- 「龍」 (1934年) 下谷神社所蔵
- 「叭叭鳥」 (1935年) 横山大観記念館所蔵
- 「春風万里乃濤」 (1942年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「満ち来る朝潮」 (1943年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「南溟の夜」 (1944年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「或る日の太平洋」 (1952年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「霊峰飛鶴」 (1953年) 横山大観記念館所蔵

横山 大観「あやめ」(1901年)











