
肥前国 忠吉Tadayoshi Hizennokuni

肥前国 忠吉(1572〜1880)
(写真は「日本美術刀剣保存協会」様より引用)
肥前国忠吉は肥前新刀鍛冶。名手とされます。新刀最上作最上大業物山城国埋忠明寿門人。
制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれます。初期は「五字忠銘」といって「肥前国忠吉」の銘がほとんどのようであります。
秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字を真似て切った癖のある切銘のことを言います。
秀岸銘をやめてのち、「肥前国住人忠吉作」などと切る住人銘になります。
晩年は武蔵大掾を受領し名を「忠広」と改め「武蔵大掾藤原忠広」と切る。重要美術品の刀、脇差しがあります。
肥前国忠吉の作品は東京都渋谷区代々木4丁目にある「日本美術刀剣保存協会」において見ることができます。
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肥前国 忠吉 年表
- 1872年-1693年
- 初代忠吉:橋本新左衛門。肥前佐賀藩の御刀鍛冶で、日本刀の歴史の上では肥前刀の祖として有名な人物。
- 1614年-1693年
- 二代忠広:初代の末子で、通称は初代と同じ新左衛門です。初代の逝去ののち忠広を襲名している。
- 1637年-1686年
- 三代忠吉:二代の嫡子として生まれ、通称は新三郎。父の二代忠広を助けることが多かったためか、自己の作品は少ないよう。
- 1668年-1747年
- 四代忠吉:三代の嫡子として生まれ、通称は源助でしたが、父の没後は父の通称である新三郎を名乗っている。
- 1696年-1775年
- 五代忠吉:四代の嫡子として生まれ、通称は初代、二代と同じ新左衛門だ。
- 1736年-1815年
- 六代忠吉:五代の次男だが、兄が早世したため六代目を継いでいる。
- 1771年-1816年
- 七代忠広:通称は平作郎、平助、のちに忠左衛門と改めている。
- 1808年-1859年
- 八代忠吉:佐賀藩士古川家の次男として生まれたが、七代に子がなかったため、母の実家である橋本家に入り。
- 1832年-1880年
- 九代忠吉:八代の嫡男として生まれたが、明治4年の太政官布告(廃刀令)をもって廃業したことから、その存在はあまり知られていなかった。
肥前国 忠吉
- 「刀」 (1630年) 財団法人 日本美術刀剣保存協会所蔵
- 「短刀」 (1631年) 財団法人 日本美術刀剣保存協会所蔵

肥前国 忠吉「刀」(1630年)











