
裏 千家Senke Ura

裏 千家(1522~)
(写真は「京都旅楽」様より引用)
裏千家は茶道流派の一つです。
千利休からの家督を継いだ本家の表千家に対し、分家である武者小路千家と裏千家と併せて、三千家といわれます。茶道諸流派中最大の流派で、茶道人口の過半数は裏千家門下であるとみられます。
「裏千家」の語は、家元とその家族らで構成される宗家を指すことも、財団法人裏千家今日庵などの法人組織を指すことも、弟子・門下生を含む流派組織を指すこともあります。
宗家は京都市上京区小川寺之内上にあり、表千家宗家と隣接しています。その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもあります。裏千家の名称は、表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にある意です。
三千家の中で裏千家の流儀を特徴づけるのは11代玄々斎以来特に顕著な「積極性」であります。玄々斎による茶箱点・立礼式や、13代円能斎による盆略点に代表されるように、新しい点前を作ることに対して他の二家より積極的であります。
立礼や盆略はその後三千家やそれ以外の流派にも形を変えながら受容されているが、こうした積極性は伝統的な流派においては珍しいです。
もう一点、侘びを尊ぶ三千家の中にあって、比較的華やかな方向性を持っていることが挙げられます。好み物の棚の種類が非常に多かったり、茶箱の色紙点のように彩り豊かな点前が好まれたりしています。
裏千家に関しては「裏千家ホームページ」において見ることができます。
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裏 千家 年表
- 1522年-1591年
- 初代:利休宗易。斎号:抛筌斎。利休忌3月28日。
- 1546年-1614年
- 二代:少庵宗淳。利休の後妻宗恩の連れ子で女婿。
- 1578年-1658年
- 三代:元伯宗旦。斎号:咄々斎。元叔・寒雲。
- 1622年-1697年
- 四代:仙叟宗室。斎号:朧月庵。宗旦の末子。以後代々家督継承者は宗室を名乗る
- 1673年-1704年
- 五代:常叟宗室。斎号:不休斎。加賀藩・松山藩茶道指南初代、指南は幕末まで継続。
- 1694年-1726年
- 六代:泰叟宗室。斎号:六閑斎。宗安と称した。
- 1709年-1733年
- 七代:竺叟宗室。斎号:最々斎。表千家七代如心斎の弟、宗乾と称した。
- 1719年-1771年
- 八代:一燈宗室。斎号:又玄斎。表千家七代如心斎および竺叟宗室の弟。
- 1746年-1801年
- 九代:石翁宗室。斎号:不見斎。寒翁、玄室とも称した。
- 1770年-1826年
- 十代:柏叟宗室。斎号:認得斎。夫人は松室宗江、秀でた茶人、領主の子息を養育し継承者にした。
- 1810年-1877年
- 十一代:精中宗室。斎号:玄々斎。三河国奥殿領・松平乗友の子。
- 1852年-1917年
- 十二代:直叟宗室。斎号:又・斎。京角倉家・角倉玄寧の子、隠居して後は「千玄室」と称した。
- 1872年-1924年
- 十三代:鉄中宗室。斎号:圓能斎。対流軒・近代化に尽力。
- 1893年-1964年
- 十四代:碩叟宗室。斎号:無限斎。襲名以前は玄句斎永世、淡々斎宗叔と称した、一般に淡々斎として知られている。
- 1923年-
- 十五代:汎叟宗室。斎号:鵬雲斎。襲名以前は宗興と称した、現在は家元を譲り大宗匠「千玄室」と称する。
- 1956年-
- 十六代:玄黙宗室。斎号:坐忘斎。襲名以前は宗之と称した、当代。
裏 千家 代表作
- 「南僚 鶴丸 蓋置」 (14代淡々斎) 個人所蔵

裏 千家「南僚 鶴丸 蓋置」(14代淡々斎)













